こんばんは、ないとです。
突然ですが、今朝久し振りに夢を見ました。
それは4年前に死んだジッチャンの夢でした。
夢の内容は殆ど覚えていないんですけど、ないとがジッチャンと話していた、そんな夢やったと思います。
偶然ってモンは凄いです。実は今日は母方のジッチャンの月命日なんですね。^^
夢が無くても月命日だって気づいていたとは思いますが、
ジッチャンが知らせてくれたんですかね〜。
ジッチャンの事なんて絶対忘れるわけないのに…。^^;

ないとの記憶でジッチャンが出てくる&一番古い記憶は、大阪花博の記憶でしょうか。
ないとの家族とジッチャンバッチャンで行ったんでしたっけ。
物心ついた時からジッチャンは杖をついて歩いていました。
いっつも左手でついていた杖。或る時は傘にもなる画期的な杖。(笑)
時にはその杖で突かれた事もありました、ないとも悪戯好きな性格でしたから。

これはないとの直観ですけど、花博から死ぬまでの12年間、
ないとから見たジッチャンは全く変わらなかったです。

ジッチャンは税理士やったと『聞きました』。
と言うのも、ないとが物心ついた時はもうジッチャンは引退(?)していましたし。
オカンの実家には未だにジッチャンの使っていた机があります。
中身も全部そのまんま。埃を多少被っているとは言えど、インクもあるし万年筆もあるし、
帳簿もあれば数々の名刺もありました。
そして中にはチラシの紙片もありました。
ジッチャンは裏に何も書かれていないチラシを切っては、メモ帳として甦らせていました。
ないとも小さいときはその紙片を貰って色々とお絵かきをしていました。
今でも裏に何も書かれていないチラシなんかを見ると、ジッチャンを思い出す事も度々。

ジッチャンはやっぱり阪神タイガースが大好きでした。(笑)
でもそのジッチャンのファン振りは残念ながら知りません。
ないとが物心ついてからジッチャンが死ぬまで、阪神は泥沼な時期を送っていたから…。
ジッチャンが死んだのが2001年、星野監督率いる阪神が2003年。
この時間のブランクには何とも言えぬ悔しさがあります、今でも。
でも思いました、「ジッチャンは天国で沢山悦んでいる!!」と。
そう思う事でないとも2003年の優勝も心から悦べました。^^
そして今年もそうです。
阪神がリーグ制覇した瞬間、この事をジッチャンに伝えたかったです。
…というか、「想いよ届け〜!」のように天国へリーグ制覇を伝えました、
届いたかどうかは定かではありませんが…。

ジッチャンは高校野球も好きでした。
ないとが小さいときから一緒に見ていましたもん。
ジッチャンは凄かったですね、解説者並みに。
投手の球速、球種、打者の癖などをその場で言っていましたから。^^
その後に解説者が続く、みたいな感じでした。
ないとが野球好きになったのもジッチャンの存在がとても大きかったです。

そんなジッチャンが死んじゃったのは2001年の1月中旬。
真っ最中の高校受験をほっぽって大阪に行ったんですよ。
…正直新大阪駅からの記憶がありません。。。^^;

まぁ回顧話はこのくらいにしましょうか。
ジッチャンもよく言っていましたけど、生きていくのは「これから」ですもんね。
夢の話からよくここまで辿りつきました、はは。^^
今回も長くなっちゃいましたけど、最後まで読んでくださった方、
どうもありがとうございました〜★

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