【耳をすませば】、何回見ても感動します。
そしてしみじみ学ばされるのです。
「好きなひとが、できました。」
確かにそれも大事な事です。が、僕が学ばされたのは、
人としての生き方というか、何というか…。
うまくは表現できないですが、そのようなものを学ばされた気がします。
以下、ネタバレ的な部分は…ゴメンなさいmm
OPの夜景、それはどこかで見た事がある風景だと思いました。
聖蹟桜ヶ丘に多少の縁があるので、自分のアタマの中の聖蹟とその夜景とがちょうどマッチしたのです。
その時点で何だか嬉しくなってきちゃいました。
まぁそれはそれでヨシとしまして…、
出会いは図書館、正確には図書カード。運命的です。
しかしありえない話ではない、そう思います。だからこんなにもハマれるのかもしれません(笑)
脇道に逸れますが、図書カードをなくす事と個人情報とは関係ないのでしょうかねぇ?
お話は1994年、個人情報が世間一般に取り上げられたのは…、
個人情報保護法の制定だとしたら1988年(でしたっけ?)…。
うむ、どうなのでしょう?おっと脇道過ぎましたね、ゴメンなさい;
偶然とは恐ろしいという言葉を聞きます。僕も実際この言葉を使った事はあります。
この作品でもヒロイン雫さんが図書カードに書かれてあったヒーロー聖司くんの名前に興味を示したから、
運命的なお話が続いた訳で。
偶然は運命をも左右する、ある意味恐ろしいです。
そんな事を学びました。
思春期といえば受験と恋とか、
受験と恋、その天秤をどう動かすか?とか、よく聞きます。
このお話はジャストでその2つがテーマになっています。
いいえ、恋に関してなどないとは語れません。ひたすら学ぶのみです(笑)
以前オカンがこの作品を観た時に言っていました、
「あ〜、この3人どれもかわいそ〜…。」
3人とは雫さんと夕子さんと野球部の彼(ぇ?)です。
オカンはこーゆー経験あんのか!?って内心疑惑だらけでしたが、
その後の展開をも予想し、且つ登場人物の気持ちをも推測するオカンの話を聞くと、
「へぇ〜へぇ〜」と、まだ知らなかったトリビア的な返事をするしかありませんでしたね。
…とにかくないとは恋愛に関しては鈍感なのです、嗚呼それだけ…。(苦笑)
初期のシーンでは、雫さんと聖司くんは対立(?)しています。
と言うのも、まだ雫さんは嫌味な男子が聖司くんだとは思っていなかったから…。
しかし雫さんはまだ見ぬ聖司くんの想像図を心で描きました。
その事に関して、某サイトさんにはこう書かれていました。
『既知の人物だと全く気にもしないのに、知らないだけに想像が働き、
必要以上に相手を美化してしまいます。つまり、想像は楽しいものです。』
イメージと現実が違っていて幻滅、というのは言い過ぎかもしれませんが、
事前の想像の方が現実よりも勝っている、という事は僕にはよくある事です。
…幻滅する事は殆ど稀でありますが(汗;)
「うわ〜、思っていたより悪い…。」最終的にそう思ったとしても、
想像は楽しい、そう考える事も出来るんだな〜と、
この作品、サイトさんを見て考えを改めさせられた記憶があります。
また脇道に逸れてしまいますが、
作品の中で学校の渡り廊下にて雫さんと聖司くんがすれ違うシーンがあります。
その時2人はお互いに無視?しました。
何故でしょう?オカンに訊けば、こう返ってきました。
「進路の事で親連れて面談でもするんちゃうか?」
…なっ、なるほど!!聖司くんの後ろにいたのは父親!?
またまたオカンに脱帽。その推測は僕の疑問を完全に納得させました。
いや、実際どうなのかは分かりませんけどね?
その他、作品には多々素晴らしい場面があります。
残念ながら、多々ありますのでここでは語りきれません;
初めにも書きましたが、この作品には多くの事を学ばされました。
上記では曖昧な事書いていましたけど、
結局は、自分を知る事と夢を持つ事の重要性を学んだ気がします。
自分の事は自分自身がよく知っている、とよく聞きますが、
自分を知る、言うのは簡単ですが実際自分を知るのは難しいのではないでしょうか?
それは、自分で影にしたい部分、避けたい部分が誰にもあると思うからです。
僕自身、ないとという人間を完全に知るに至ってはいないと思っています。
しかし完全に知る必要はないのかもしれません。
作品では、雫さんは“受験期を送る自分”を知りましたが、
“一生涯の自分”を知った訳ではありませんし。
自分を知る必要がある時期に自分を知る、これが大事なのではないかと思いました。
ではどうしたら自分を知る事が出来るのでしょう?
これは、自分のやりたい事をどんな形にせよやり遂げればいい、そう思っています。
実現は難しいですが、いざやりたい事をやり遂げれば、
少なくとも自分を知る事に近づけると思います。
雫さんは、物語を作りました。出来は満足しなかったようです。
しかしその後、受験生である自分を知り、勉強に精を出す決意をしました。
ですから、どんな形にせよ、だと思うのです。過程より結果だと思うのです。
まぁそんなこんなでないとは今、自分探しの日々を送っているのです。
デルフォイさんの『汝自身を知れ』
バイト先の創始者さんの『汝自身を求めよ』
自分が年始に決めた『活きるように生きる!』
今晩、この3つの言葉の重みが更に増したように思われます。
大学生である今、自分は何をすべきなのか、どうあるべきなのか、
それを知るために大学に行ったりバイトに行ったり、遊んだりしているのかも…。
その可能性は少しでもあると思います。
そうである以上、日々の生活を大切にしていかなきゃな〜、なんて意気込んでみたり。
大袈裟に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
こういう深い考えをさせてくれた【耳をすませば】という作品は、
これから先、僕のアタマの中にずっと残っていくだろう、そんな気がしてならないのです。
ここまでの長文を読んでくださった方々、多謝ですmm
では、また☆
そしてしみじみ学ばされるのです。
「好きなひとが、できました。」
確かにそれも大事な事です。が、僕が学ばされたのは、
人としての生き方というか、何というか…。
うまくは表現できないですが、そのようなものを学ばされた気がします。
以下、ネタバレ的な部分は…ゴメンなさいmm
OPの夜景、それはどこかで見た事がある風景だと思いました。
聖蹟桜ヶ丘に多少の縁があるので、自分のアタマの中の聖蹟とその夜景とがちょうどマッチしたのです。
その時点で何だか嬉しくなってきちゃいました。
まぁそれはそれでヨシとしまして…、
出会いは図書館、正確には図書カード。運命的です。
しかしありえない話ではない、そう思います。だからこんなにもハマれるのかもしれません(笑)
脇道に逸れますが、図書カードをなくす事と個人情報とは関係ないのでしょうかねぇ?
お話は1994年、個人情報が世間一般に取り上げられたのは…、
個人情報保護法の制定だとしたら1988年(でしたっけ?)…。
うむ、どうなのでしょう?おっと脇道過ぎましたね、ゴメンなさい;
偶然とは恐ろしいという言葉を聞きます。僕も実際この言葉を使った事はあります。
この作品でもヒロイン雫さんが図書カードに書かれてあったヒーロー聖司くんの名前に興味を示したから、
運命的なお話が続いた訳で。
偶然は運命をも左右する、ある意味恐ろしいです。
そんな事を学びました。
思春期といえば受験と恋とか、
受験と恋、その天秤をどう動かすか?とか、よく聞きます。
このお話はジャストでその2つがテーマになっています。
いいえ、恋に関してなどないとは語れません。ひたすら学ぶのみです(笑)
以前オカンがこの作品を観た時に言っていました、
「あ〜、この3人どれもかわいそ〜…。」
3人とは雫さんと夕子さんと野球部の彼(ぇ?)です。
オカンはこーゆー経験あんのか!?って内心疑惑だらけでしたが、
その後の展開をも予想し、且つ登場人物の気持ちをも推測するオカンの話を聞くと、
「へぇ〜へぇ〜」と、まだ知らなかったトリビア的な返事をするしかありませんでしたね。
…とにかくないとは恋愛に関しては鈍感なのです、嗚呼それだけ…。(苦笑)
初期のシーンでは、雫さんと聖司くんは対立(?)しています。
と言うのも、まだ雫さんは嫌味な男子が聖司くんだとは思っていなかったから…。
しかし雫さんはまだ見ぬ聖司くんの想像図を心で描きました。
その事に関して、某サイトさんにはこう書かれていました。
『既知の人物だと全く気にもしないのに、知らないだけに想像が働き、
必要以上に相手を美化してしまいます。つまり、想像は楽しいものです。』
イメージと現実が違っていて幻滅、というのは言い過ぎかもしれませんが、
事前の想像の方が現実よりも勝っている、という事は僕にはよくある事です。
…幻滅する事は殆ど稀でありますが(汗;)
「うわ〜、思っていたより悪い…。」最終的にそう思ったとしても、
想像は楽しい、そう考える事も出来るんだな〜と、
この作品、サイトさんを見て考えを改めさせられた記憶があります。
また脇道に逸れてしまいますが、
作品の中で学校の渡り廊下にて雫さんと聖司くんがすれ違うシーンがあります。
その時2人はお互いに無視?しました。
何故でしょう?オカンに訊けば、こう返ってきました。
「進路の事で親連れて面談でもするんちゃうか?」
…なっ、なるほど!!聖司くんの後ろにいたのは父親!?
またまたオカンに脱帽。その推測は僕の疑問を完全に納得させました。
いや、実際どうなのかは分かりませんけどね?
その他、作品には多々素晴らしい場面があります。
残念ながら、多々ありますのでここでは語りきれません;
初めにも書きましたが、この作品には多くの事を学ばされました。
上記では曖昧な事書いていましたけど、
結局は、自分を知る事と夢を持つ事の重要性を学んだ気がします。
自分の事は自分自身がよく知っている、とよく聞きますが、
自分を知る、言うのは簡単ですが実際自分を知るのは難しいのではないでしょうか?
それは、自分で影にしたい部分、避けたい部分が誰にもあると思うからです。
僕自身、ないとという人間を完全に知るに至ってはいないと思っています。
しかし完全に知る必要はないのかもしれません。
作品では、雫さんは“受験期を送る自分”を知りましたが、
“一生涯の自分”を知った訳ではありませんし。
自分を知る必要がある時期に自分を知る、これが大事なのではないかと思いました。
ではどうしたら自分を知る事が出来るのでしょう?
これは、自分のやりたい事をどんな形にせよやり遂げればいい、そう思っています。
実現は難しいですが、いざやりたい事をやり遂げれば、
少なくとも自分を知る事に近づけると思います。
雫さんは、物語を作りました。出来は満足しなかったようです。
しかしその後、受験生である自分を知り、勉強に精を出す決意をしました。
ですから、どんな形にせよ、だと思うのです。過程より結果だと思うのです。
まぁそんなこんなでないとは今、自分探しの日々を送っているのです。
デルフォイさんの『汝自身を知れ』
バイト先の創始者さんの『汝自身を求めよ』
自分が年始に決めた『活きるように生きる!』
今晩、この3つの言葉の重みが更に増したように思われます。
大学生である今、自分は何をすべきなのか、どうあるべきなのか、
それを知るために大学に行ったりバイトに行ったり、遊んだりしているのかも…。
その可能性は少しでもあると思います。
そうである以上、日々の生活を大切にしていかなきゃな〜、なんて意気込んでみたり。
大袈裟に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
こういう深い考えをさせてくれた【耳をすませば】という作品は、
これから先、僕のアタマの中にずっと残っていくだろう、そんな気がしてならないのです。
ここまでの長文を読んでくださった方々、多謝ですmm
では、また☆
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