昨日の先輩のダンス公演。
ジャズダンスからクラシックバレエ、コンテンポラリーダンス…、
色々なダンスを観たけれど、
ド素人の自分から観てもそれぞれのダンスの違いはわかった。
しかし、それらがどう違うのか言葉では説明が出来ない。
言葉で説明が出来ないというのは、昨日の日記にも書いた通り、
ダンス公演全体の感想もそうである。
何故言葉で表現できないのか。
自分の言語能力に問題があるのだろうか。
実はそんな事はないと思っている。
これは自分お得意のプラス思考ではなく、一般的な事だと思う。
では言葉で表現できないとはどういう事なのか。
人間には、物事の本質を理解する能力が大きく分けて2つあるという。
それは知的能力と勘である。
前者は言葉を巧みに使う能力で、ディベートや談議などに効力を発揮する。
もっと簡単に言ってしまえば、「アタマを使う」という事である。
他方後者は言葉では表現できないものである。
「アタマを使う」という表現も相応しくないのである。
この『勘』が昨日のダンス公演に潜在していたのではないか、と自分では思っている。
『勘』と言っても、
問1が(ア)で問2が(イ)と来れば、問3の答えは(ウ)だろう。
というヤマ勘とは大きく違うのは言うまでもない。
さて、この『勘』であるが、
意外な事に、様々なシチュエーションで発揮されている。
その典型的な例としてスポーツと日本の伝統技術がある。
日本の伝統技術に関してはゼミで学習中なので説明は省略するが、
スポーツで言えば、マリナーズのイチロー選手が典型的な『勘』の使い手である。
彼がアベレージヒッター(安打製造機)である事はよく知られている。
ヒットを打つ為にはバットとボールを当てるタイミング、角度、力の加減を、
その打席打席で考慮しなくてはならない。
しかしそれらの事をアタマで瞬時に判断できるだろうか?
それは人間の能力の限界を大きく超えていると言えるだろう。
しかしイチロー選手はそれでも計算したかのようにヒットを量産する。
何故か、という質問にはもう言葉では説明できなくなってくるのだ。
彼には『勘』が備わっているから、最終的にはそう答えるしかないと思う。
では何故イチロー選手を例として取り上げたのか。
それには2つの理由がある。
まずはイチロー選手が本当に(『勘』に、と言わなくても)優れた選手であるからだ。
これは分かりきっているため、これ以上説明する必要はないだろう。
そして2つ目の理由としては、
彼は‘海外で活躍する日本人’だからである。
実はこの『勘』、世界で日本が一番優れていると言われている。
それは日本の伝統技術を考えてもらえばある程度は分かると思う。
また、決して大柄とはいえないイチロー選手が、
メジャーの恵まれすぎている体格の選手と対等、若しくはそれ以上の活躍を見せる事からも、
世界に通用する、日本人特有の『勘』を彼が持ち合わせていると言える根拠ではないか。
本題に戻ろう。
昨日のダンス公演に、自分は『勘』を感じた。
確かにダンスは指導があって且つレベルを問わないならば、
世界中誰の人間にだって出来るものである。
しかし、日本人には何ともいえぬ繊細さ、しなやかさがあると思う。
これはシンクロナイズドスイミングやフィギュアスケートからも思ったのだが、
繊細さやしなやかさを出すのに「アタマを使う」知的能力は必要なのか。
自分ではそれらを十分に出すには『勘』の方が活きてくると思っている。
勿論昨日のダンスにしても、
「このタイミングで回る」
「曲のこの場面でステージの向こう側へ走る」
というような知的思考はあったであろうが、
実際の演技の中で、そこまで細かく計算して動く事は人間誰にせよ無理な事なのである。
だから自分は昨日のダンス公演に『勘』を感じたのであろう。
『勘』とは奥深いものであるが、とても身近なものである。
日本人であれば誰でも、活かす方向は違うとしても、
この『勘』を持ち合わせていると思う。
しかし『勘』は認知度から見れば脇役的な存在である。
それは再び、『勘』というものが言葉によって表す事ができないから脇役なのだ、
という事に帰結すると言えるのではないか。
日本人なら誰もが持っている、スーパーサブ的な『勘』。
果たして自分はどのような方向で活かせる『勘』を持っているのか。
いつの日か是非とも見つけてみたいものである。
ジャズダンスからクラシックバレエ、コンテンポラリーダンス…、
色々なダンスを観たけれど、
ド素人の自分から観てもそれぞれのダンスの違いはわかった。
しかし、それらがどう違うのか言葉では説明が出来ない。
言葉で説明が出来ないというのは、昨日の日記にも書いた通り、
ダンス公演全体の感想もそうである。
何故言葉で表現できないのか。
自分の言語能力に問題があるのだろうか。
実はそんな事はないと思っている。
これは自分お得意のプラス思考ではなく、一般的な事だと思う。
では言葉で表現できないとはどういう事なのか。
人間には、物事の本質を理解する能力が大きく分けて2つあるという。
それは知的能力と勘である。
前者は言葉を巧みに使う能力で、ディベートや談議などに効力を発揮する。
もっと簡単に言ってしまえば、「アタマを使う」という事である。
他方後者は言葉では表現できないものである。
「アタマを使う」という表現も相応しくないのである。
この『勘』が昨日のダンス公演に潜在していたのではないか、と自分では思っている。
『勘』と言っても、
問1が(ア)で問2が(イ)と来れば、問3の答えは(ウ)だろう。
というヤマ勘とは大きく違うのは言うまでもない。
さて、この『勘』であるが、
意外な事に、様々なシチュエーションで発揮されている。
その典型的な例としてスポーツと日本の伝統技術がある。
日本の伝統技術に関してはゼミで学習中なので説明は省略するが、
スポーツで言えば、マリナーズのイチロー選手が典型的な『勘』の使い手である。
彼がアベレージヒッター(安打製造機)である事はよく知られている。
ヒットを打つ為にはバットとボールを当てるタイミング、角度、力の加減を、
その打席打席で考慮しなくてはならない。
しかしそれらの事をアタマで瞬時に判断できるだろうか?
それは人間の能力の限界を大きく超えていると言えるだろう。
しかしイチロー選手はそれでも計算したかのようにヒットを量産する。
何故か、という質問にはもう言葉では説明できなくなってくるのだ。
彼には『勘』が備わっているから、最終的にはそう答えるしかないと思う。
では何故イチロー選手を例として取り上げたのか。
それには2つの理由がある。
まずはイチロー選手が本当に(『勘』に、と言わなくても)優れた選手であるからだ。
これは分かりきっているため、これ以上説明する必要はないだろう。
そして2つ目の理由としては、
彼は‘海外で活躍する日本人’だからである。
実はこの『勘』、世界で日本が一番優れていると言われている。
それは日本の伝統技術を考えてもらえばある程度は分かると思う。
また、決して大柄とはいえないイチロー選手が、
メジャーの恵まれすぎている体格の選手と対等、若しくはそれ以上の活躍を見せる事からも、
世界に通用する、日本人特有の『勘』を彼が持ち合わせていると言える根拠ではないか。
本題に戻ろう。
昨日のダンス公演に、自分は『勘』を感じた。
確かにダンスは指導があって且つレベルを問わないならば、
世界中誰の人間にだって出来るものである。
しかし、日本人には何ともいえぬ繊細さ、しなやかさがあると思う。
これはシンクロナイズドスイミングやフィギュアスケートからも思ったのだが、
繊細さやしなやかさを出すのに「アタマを使う」知的能力は必要なのか。
自分ではそれらを十分に出すには『勘』の方が活きてくると思っている。
勿論昨日のダンスにしても、
「このタイミングで回る」
「曲のこの場面でステージの向こう側へ走る」
というような知的思考はあったであろうが、
実際の演技の中で、そこまで細かく計算して動く事は人間誰にせよ無理な事なのである。
だから自分は昨日のダンス公演に『勘』を感じたのであろう。
『勘』とは奥深いものであるが、とても身近なものである。
日本人であれば誰でも、活かす方向は違うとしても、
この『勘』を持ち合わせていると思う。
しかし『勘』は認知度から見れば脇役的な存在である。
それは再び、『勘』というものが言葉によって表す事ができないから脇役なのだ、
という事に帰結すると言えるのではないか。
日本人なら誰もが持っている、スーパーサブ的な『勘』。
果たして自分はどのような方向で活かせる『勘』を持っているのか。
いつの日か是非とも見つけてみたいものである。
コメント