21になったくせにネムレナイ。
明日は2限の大学からメイバイまでごっつ忙しいってのに。

1日〜3日に行なわれたサークルの合宿はうまくいったようである。
バイトの関係上、自分は不参加であるけれども。
特に1コ下(2年生)が運営を頑張ってるからソンケーモノだ。



先ほど、何気なく部屋を整理していたら、小学生時代の文集が発掘された。
周りのヒトには中学以前のコトって話さない性質を持つ自分ではあるが、
その頃をチョクチョク顧みてはいるのだ。

文集が見つかって、バイトの給与明細よりも見たさが募って、
30分ほどかけて読破してもーた。

その文集は、作文ではなく生徒1人1人の詩が載っていた。

小学校4年生の頃(今から11年前)の自分の作った詩、
見るのは恥ずかしかったけれども、どうしても見てみたかった。
字はやっぱり素っ気無く縦列されているものの、
その字を見ると、一生懸命書いたんやなってコトが自分のアタマん中に蘇ってくる。


『雪がふった

 雪がふった
 横に動きながらおりた

 雪が地面に落ちて
 ジワッととけた

 雪のおどり

 たてから横へ
 横から下へ

 みんなそうする
 ひと粒そうするとみんながそうする

 みんなでまねっこ

 雪がやむ前
 最後の雪はまねしてもまねされない
 
 雪のおどりもまねっこも
 雪がなければできなくなっちゃう

 いつまでも雪がふっていればいいのに』


・・・今より独創性・想像性がある気がするが。



よく考えてみると詩って、「あらわれる」モノなんやとつくづく思う。
詩は、考えたヒトの心が‘表れて’、見たヒトの心は詩によって‘洗われる’。

それが詩の本質でもあり醍醐味でもあると思う。



時間軸は前へ前へと進んでいる。
自分らは前へ前へと無意識のうちに押しやられている。
でも前ばっか見ても詰まる時はある。
前に進んでも壁にぶつかる時はある。

そんな時は、一度止まって後ろを振り返ってみる事も必要な気がしてならない。


不意に小4の頃の自分から得た教訓。
自己的な教訓ではあるけれども、いつまでも心に留めておきたいと思った。

どうかいい夢が見られますように。

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