オススメの本を日記にUPするように数名の方から頼まれたので、
先月のゼミ合宿でオススメした『レインツリーの国』の紹介をします。

が、ゼミ合宿用の紹介文をそのままUPするので、
ネタバレがありますが、その点はご了承ください。





ただ、読む価値はあります。







『レインツリーの国』 著者 有川浩 / 出版 新潮社

皆さんは今現在『ハマってるモノ』はありますか?それは例えば本でもいいですし、音楽、スポーツ、お笑い、何でも結構です。
そしてもし、その自分が『ハマってるモノ』に言葉で共感してくれるヒトが現れたらいかがですか?少なくとも、同じ趣向であれば悪い気はしないはずです。

この『レインツリーの国』は、社会人の伸行が青春時代に読んだ本の感想を求めてネットサーフィンをしていたら、非常に言葉の巧い、感受性が豊かな感想を見つけ、その感想を書いた社会人のひとみとインターネット上のサイト『レインツリーの国』で偶然知り合うという場面から展開していきます。2人は互いに顔も分からぬまま、1冊の本について率直な感想をメールのやり取りでぶつけ合います。彼等の青春論を語るメールラリーは何度も続き、遂には、伸行はひとみと直接会って話したいという気持ちを抑えられなくなっていきます。そして幾多のメールラリーの末、関西出身という利点(?)を活かして伸行は、初めは会う事に戸惑っていたひとみを説得し、ようやく2人は会う事となりました。しかし、事態は急展開を迎えます。本屋での待ち合わせは混乱もなく成功し、伸行は長い黒髪が印象的なひとみと出会いますが、終始ひとみは歩きながらの伸行の問いかけに対しては殆どカラ返事でありましたし、映画館では3時間も待たされる字幕モノの映画を見る事を頑固にも譲りませんでした。挙句の果てには満員のエレベーターに乗り込み、ブザーの鳴る中、悪びれた様子も見せないで突っ立っていたのです。伸行はそんな態度を見せるひとみに対して人前で怒鳴り散らしました。しかし、泣き顔を埋めるひとみの長髪の隙間から伸行の視界に入ってきたのは、耳掛け式の補聴器でした。

さて、この時の状況については伸行の立場から考えていただいても、ひとみの立場から考えていただいても構いません。でも、どちらの立場から考えたって、2人の関係はここでTHE・ENDになると考えるのが普通です。難聴という障害を抱えるひとみに対して全くの配慮が出来ず、彼女を泣かせて 帰らせた健常者の伸行。元々ネット上のメールで知り合った仲で、本名も住所も、素性なんて何も知らない関係でしたので、縁を切るのは非常に簡単です。しかしこの作品では、伸行とひとみとが、最終的には結ばれるのです。一番面白いのは、いつでも簡単に縁が切れる状況で、健常者の伸行と 障害を抱えるひとみが、健常者と障害者との関係をフラットにすることで、互いに惹かれ、近づいていくという点でした。言い換えれば、健常者である我々がよく言いそうな、「オレ、障害を持ってるキミに同情して何でも協力するよ」とか「出来ない事があったらオレが何でもキミの代わりにやるよ」といったような、障害者に救いの手を差し伸べるだけを意図する言葉が2人のあいだでは無意味だったという事です。障害を抱えるひとみを甘やかすのではなく、むしろ伸行はひとみを1人の人間として見なし、叱るべき所は叱り、自分勝手な所はハッキリと自分勝手だと言う、そのような態度で接したのです。勿論、互いに近づいていく過程は一筋縄には行きませんでした。会う度に喧嘩をし、メール上では率直な意見、もはや相手への不満のぶつけ合いばかり。しかしそんなやり取りの中にも、「仲直りのために喧嘩をしよう」といったような伸行の優しさ(一種特殊な優しさですが・・・)が根底に存在していたという事は、日を重ねるごとにひとみも理解していったのでした。そのような奥が深い伸行の姿勢から、ひとみは自分自身がこれまで心の隅に抱えていた『‘障害者’という事を盾にして出来るだけ自分という存在を 外界から断絶してきていた』という弱みを見つけ、少しでも前向きに、伸行のように強く生きようと目覚めていきます。個人的にはこの過程(経過)が細かく描写されていた事が、この本を面白くさせ、また感動させるモノと自分に認識させたのだと思っています。

作品の構成についても飽きを感じませんでした。それは、ある章では伸行が主体で描かれているけれども、別の章ではひとみが主体で描かれているという主体の置き方の工夫が、読むこちら側からしましたら非常に読みやすかったです。何故なら、話が進むごとの伸行・ひとみそれぞれの感情がリアルタイムに伝わってきたからです。このような読者への優しさ(勝手に思い込んでいるだけかもしれませんが)を感じられたという事も、この作品の素晴らしさを浮き彫りにしているように感じられてなりません。

クドイですが、この本には健常者と耳の障害を抱えたヒトとの恋愛が描かれています。しかし、作品中では障害者をただ単に障害者として設定するのではなく、「聞く」(耳から入ってきた音や言葉を漫然と聞いている状態)と「聴く」(全身全霊傾けてしっかりと相手の話を聴く)の使い分けをしたり、中途失聴などのもはや 専門用語と言ってしまえる言葉が出てきたりしました。これらの言葉の使い分けや登場が、読んでいる自分に重くのしかかってきました。健常者が障害者について考える事は大切であるとは思いますが、それ以上に大切なのは、障害者に対して健常者がどのような態度で、またどのような心を持っているべきかを考える事だと思いました。その明確な答えは健常者である自分には分かる筈もありません。しかし、明確な答えを出さなくても、この本を読んで改めてそのような事をジックリ考えてみるだけでも価値はあるように個人的には感じられました。

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