今回は前回からの延長で、
とあるキッカケでふと思い出した、
でもアタマから完全に忘れる事はない、
そんな中学でのMIRACLEな思い出を綴ってみました。


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自分が中学3年生だった秋、
中学全体の雰囲気は1週間後に開かれる体育祭によってかなり盛り上がっており、
言わずもがな自分も盛り上がっていた人物の1人であった。
と言うのも、中学での体育祭もその年が最後だったし、
その年は、クラス対抗戦で行なわれる中、
団結力にはかなりの自信を持っていたクラスに属していたからだった。

勿論クラスの為に頑張ろうという気はあった。
しかし、自分はそれと同等に頑張らなければならない競技があった。
それは、委員会対抗で行なわれるリレー。得点には関係ない競技ではありながらも、
毎年、部活対抗リレーと同じくらいの盛り上がりを見せている花形の競技である。
出場資格があるのは、各委員会の3年生。
1年〜3年まで通して風紀委員を貫いてきた自分にとっては、
1,2年と先輩が走る姿を必死に応援していただけあって、かなり燃える競技だ。
このリレーは3年1組の担当委員女子から始まり、
3年1組男子⇒3年2組女子⇒3年2組男子⇒… … …⇒3年7組女子⇒3年7組男子
とバトンが渡っていく。
いわば、委員会の代表である3年生全員によってなされるガチンコリレーであった。
1年・2年の時は先輩のリレーを観るだけで終わり、
しかも風紀委員は毎年決まって下位止まり。
この『風紀委員はどーせ足の遅い集団』という先入観を取っ払ってしまおう、
というのをその年の目標として掲げ、自分を含めた3年風紀委員14名は燃えていた。

具体的な目標は「Aクラス入り」。
委員会は、
学級委員・体育委員・保健委員・図書委員・整美委員・給食委員・放送委員・風紀委員
の8委員会。
このうち、4位以上に入る!というのがAクラス入りの本意。
が、自分にはかなりのプレッシャーがつきまとっていたのである。
実は、運悪く3年の時は7組だった自分。走る順番は最後、だったのである。
とは言え、アンカーに速いヤツが必ず来るというワケではない、
と何度も自分で自分を励まして押し潰される事はなかったが。。。

具体的な目標も決め、体育祭を5日後に控えた日の夕方、
部活のミーティングに出ようと教室を後にしようとした時、
同じクラスの風紀委員の女子であったミュウに呼び止められた。

ミュウ「ないとさ〜、分かってると思うけどアンカーだよね。」

ないと「嫌な事を思い出さすね、ミュウは;」

ミュウ「でもさ、アタシだって大役だよ。アンカーのあんたにバトン渡すんだから;」

ないと「確かにそやな。スムーズにガンバロな、スムーズに^^」

ミュウ「ねぇ、ちょっとバトンパス練習しよ〜よ、かなり不安なんだけど;」

ないと「え、今?自分、部活のミーティング出な…。」

ミュウ「だいじょぶだいじょぶ、ショート(当時のワタクシのポジション)、だっけ?
    他にも要員いるんでしょ?(笑)」

ないと「ん〜…ま、えぇか。体育祭を理由にすれば問題ないやろ;」

部活は既に引退していたが、この日は偶然ミーティングが開かれる事になっていたのだった。
野球部顧問は体育委員担当の教師で、言わずもがな教師陣の中でもひときわ体育祭に燃えていた。
そんな顧問には体育祭を理由に部活を休むのが適策である事は言うまでもない。

ないと「ミュウは?部活えぇの?」

ミュウ「いーのいーの!アタシの天性が1日くらいのサボりは許すから♪」

ミュウは吹奏楽部の所属だった。元から音楽の才能がかなりあった事は有名で、
【MUSIC】からミュウというあだ名がついたくらいだ。
だが、ミュウは文化部とは言っても結構機敏なキャラである事もかなり有名だった。
口には出さなかったが、自分はミュウの足にはかなりの期待を持っていた。
その理由は、野球部で2番を打っときながら、50mを7秒切れなかった自分では、
アンカーでの接戦時に危ういと感じていたからだった。
兎にも角にも、ミュウに助けてもらう事も視野に入れながら、
自分は体育祭に向けてバトンパスを中心に練習した。



ミュウ「そーいえばさ、ないともアタシも、リレーってこれだけじゃないんだよね;」

バトンパスも大分スムーズに渡るようになった頃、そんな話題になった。
実は自分とミュウは、午後の部1番目の委員会対抗リレーの5プログラム後に行なわれる、
クラス対抗男女混合リレー(大トリ)にも出る事になっていたのだ。
個人的には明らかに前者のリレーに重きを置いていたのだが、
言わずもがな得点になる後者のリレーも頑張らなくてはいけないのだ。

ないと「そやったな。でも、その時の走る順番って。。。」

ミュウ「アタシ3番目だよ。」

ないと「自分は、、、8番目やったかな。」

ミュウ「委員会リレーよりは安心できる順番だね、お互い。」

男女混合リレーは10人で行なわれるものであり、順番に規則はない。
つまり極端な話、前半5人女子・後半5人男子という順番でもいい訳で。
そっちのリレーは他の参加者にまとめ役を委ねていた為、
ほとんど勝手に順番を決められたようなものだが、運良く順番には恵まれたのだった。

ないと「混合リレーも大切やけど、やっぱこっち(委員会リレー)の方が自然と手に力が籠もるな。(笑)」

ミュウ「ホンネを言えばね。(笑)」


体育祭が近づく度、ドキドキ感も高まり、それと同時にワクワク感も湧いてきていた。
それだけ、力を籠める委員会リレーに対して自信を持ってきたという事だったのかもしれない。

また、ミュウも自分と同じ気持ちを持っていたのだと思う。
前日のバトンパスの最終確認でも、ミュウにバトンを渡す6組男子であるタカに、

「まっかせーなーさーい!」

と豪語していたし、その日の帰宅時に正門で別れる時も、
翌日全力を尽くして頑張る事を荒っぽく約束したし。

ミュウ「アタシもそーだけどさ、ないとも、バトンだけじゃなくて、
    1組からの『みんなの頑張り』もつないでよ^^」

ないと「『みんなの頑張り』かぁ…。」

ミュウ「あ、別にプレッシャー与えてる訳じゃなくて!
    走るのは1人ずつだけど、スタートからゴールまで、みんな一丸でガンバロ!って意味だからね。」

ないと「あ〜えぇ事言う!よっしゃ、ヤル気ますます出てきた!^^」


ミュウのコトバにはいつも以上の重みを感じた。
言っている事は正しい。捉え方によってはアンカーが責任重大、とも認識できる。
しかし、自分にとってミュウの放ったコトバは、風紀委員全員の思いを代弁しているようで、
自分にはそのコトバが体育祭前日に持つ緊張感への一番の励みとなった。



そんなこんなで十分な練習をこなした上で体育祭の日を迎えた。

午前中はムカデや大玉、騎馬戦や障害物走などを応援席から観ていたり、
風紀委員の当日用の仕事をしていたり、
存在自体を忘れかけていた組体操を出来るだけ目立たないように演じてたり。
特にトラブルもなく、盛り上がりを見せたまま午前の部は終了。
我が3年7組はこの時点で学年第3位、良いラインに乗っていた。
だが、その事よりも、午後の部1発目の委員会対抗リレーが気に掛かって仕方がなかった。

午後の部の開始前、一応委員長であった自分は3年風紀委員全員を招集した。
まず安心したのは、コンディションが悪い人はいないという事。
これまで一緒に頑張ってきて、今日コンディションが悪いとなると非常に可哀想であるからだ。
委員長としてのコメントは何を言おうか非常に悩んだが、
とりあえず「結果にはあまりこだわらないで、精一杯頑張るだけ」と簡潔に伝え、
あとは自分を含めたみんなが緊張しているのは一目瞭然だったため、
残された時間は各自用の時間とし、自分もストレッチやスタートの練習などを軽くしておいた。
体育祭開会から午前まで、ミュウと話す機会はなかったが、
どうやらコンディションは良いらしい、そう見て取れた。

入場門に整列を開始した時、その日初めてミュウが話しかけてきた。

ミュウ「アンカーさん♪」

ないと「やめてけれ;」

ミュウ「ごめんごめん;何位でバトン渡せるかどうか分からないけど…。」

ないと「…何位でもえぇよ、最後までつなご、それだけ。。。」

緊張のためか、それ以上コトバが出てこなかった。
しかしミュウもコトバの意図を分かってくれたらしく、
「おいっす!」と一言、親指を立てて応えてくれた。


いざ、入場。1人が走る距離はトラック半周の為、
自分は男子のみが整列する場所へ駆けていった。
スタートは各委員会3年1組の女子。8人がスタートラインに立つ。
風紀委員のスタートはどちらかと言えば外側。
良いスタートを切れれば外側から一気に圧倒する事もできる好位置。

スターターが構えに入る。
この時ばかりは、体育祭独特の賑やかなBGMも、放送委員の声も、
何もかもが虚無に聴こえた。自分の番でなくてもかなりの緊張が全身を包む。
だがそれは、その時の3年風紀委員全員が体験していた事だったであろう。


「パーン!!」


スタートのピストルと共に一斉に1組女子が走り出す。
やはり最初に抜けたのは陸上部の体育委員。恐らく体育委員はこのまま首位を守り抜くだろう。
風紀委員は、集団の中部に居た。順位で言えば4位といったところか。
声にはなかなか出なかったが、心の中では必死だった。
気がつけば、体操着の胸の辺りをグッと握って祈るように応援していた。
客席から見れば、得点にならないエキシビジョン・レースに見えるだろう。
だが、トラックの中はみんな真剣だ。
少なくとも風紀委員は誰もがこのレースで手を抜いたりはしなかっただろう。


体育委員⇒学級委員⇒整美委員⇒風紀委員…


この順位に変動は出ないまま、レースは全駒14人のうち半分が走り終わった。

3年5組男子。
ここで序盤遅れをとっていた保健委員が一気に3位までのし上がってきた。
風紀委員はこのままだと5着。両手に力を籠めながら相変わらない応援を続ける。

3年6組女子⇒男子。
自分達と共に日々のバトン練習に付き合ってくれた6組。
そのバトンパスはドコの委員会よりも手早かったと自分は感じた。
現在順位は、4位。1位は相変わらず体育委員、2〜6位が混戦模様か。
6組男子のタカがバトンを受け取った瞬間、自分は背後でバトンを待つミュウに眼を向けた。
多少離れた位置ではあったが、ミュウの真剣な顔は自分の眼でも捉えることができた。

いよいよ、6組男子タカから7組女子ミュウにバトンが渡る。ここのバトン捌きも見事だった。
順位は3〜4位といったところか、アンカーでの接戦も冗談ではない状況になってきていた。
自分は既にレースライン上に立ってはいたが、バトンパスの瞬間は完全に見る事ができた。
バトンがミュウに渡った瞬間、いよいよかぁ…、と、
緊張と頑張ろうという気持ちの妙なジレンマに襲われながらも、全身に力を籠める。
ほんの数秒眼を閉じ、首を前後左右に倒す。
その時、体育祭前日、帰り間際に正門で言われたミュウの言葉を不意に思い出した。

  ミュウ「バトンだけじゃなくて、1組からの『みんなの頑張り』もつないでよ^^」

緊張のしすぎで、逆にそのコトバの意味も考えられるようになっていた。
あとはミュウからバトンをもらって、みんなの頑張りを背負って…、


そう思っていた時だった、突然トラックの外側から悲鳴が聞こえた。
瞬間、自分に向かってくるレースの行方に眼をやると、
トラック途中、第2コーナー手前でミュウが倒れていた。
混乱なのか驚きなのか、どうであれその瞬間は声が出なかった。
ラインの外側へ後ずさる自分の前を次々とクラスメイトの女子が通っていく。
ミュウは、すぐに立ち上がり、転がったバトンを拾い上げた。
この時点で既にミュウの後ろを走る委員は誰もいない。
しかしミュウは懸命にこちらへ向かってくる。
その体操着は砂に塗れ、膝は赤く染まっている部分もあった。
それでもミュウの顔は変わらない。バトンを受け取る寸前の、あの顔だった。

練習したバトンパス。
ミュウの手は砂や石灰に塗れてはいたが、確実に自分の手へとバトンを叩き入れた。
バトンが渡った瞬間、後ろから「ごめん…」と声が聞こえたような気がした。
それでも自分は、『みんなの頑張り』を背負ってトラック半周を全力で突っ走った。
だいぶ先方の、7着のゴールが眼に入ってきても、負けたと脳が判断しても、
それでも最後まで手を抜く事はしなかった。



ゴールした瞬間、真っ先に聞こえてきたのはトラック外からの大歓声だった。
でも、その時の自分は、素直にその歓声に喜ぶ事はできなかった。
得点にならない種目、果たしてその「お楽しみ種目」の中での自分達の一生懸命さが、
トラック外の観客にどれだけ分かってもらえているのか、、、
それは考えなくても分かる事だった。

「転んでも最後まで一生懸命走った7組女子はエライ!」

3年風紀委員全員が抱えた思いは、観客が捉えたようなそんな軽いものではなかった。
退場する自分達に多大な拍手が送られる。皆に送られる拍手は別に良いとしても、
退場門辺りで送られるミュウへの励まし・歓声は。。。


歓声は時に凶器に変わる。


ミュウは退場門でその歓声を受けた瞬間に一度、砂塗れの体操着で顔を拭った。
走って退場しなければならない状況で、自分はトラック内で暫く立ち尽くしていた。
そんな自分の肩を、6組風紀委員のタカがポンと叩いた。でも、気分はすぐには癒えない。
タカ、いや、ミュウを含めた風紀委員全員も自分と同じ気分だったのだろうか。
傷口に塩を擦り込まれた、そんな気分で自分達は退場門を後にした。




(次回に続けます、読んでくださった方々、多謝です♪)

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