ゼミ合宿(日程?)。
2007年12月30日 大学時代。こんばんは、ないとです。
昨日で年内のバイトも終わり、キッチリ仕事納めも迎える事ができました。
そして30日の今日は、ゼミの朋輩であるKaoriが生態環境学のノートを求め、
わざわざ東浦和まで足を運んでくれました。
ノートをミニストップでコピーして、近くのジョナサンでお昼をゴチソウになりまして。
わざわざ辺境の地・東浦和まで来てもらった上にお昼をゴチソウしてくれるとは、
何か、ちょっと申し訳なかったですが。。。
でも、いざ時間が過ぎていけば、かなり話が盛り上がりまして。
ゼミ合宿の話は勿論、ゼミ生の話や中高大の話まで色々話が出来てめっさ楽しかったです。
家を出るときは、おかんに「ちょっと、行ってくるわ」とだけ残したワタクシ。
流石に「ゼミの女子と昼飯食ってくるわ」とは言えませんでした。
言えばほぼ100%の可能性で同伴したでしょうし。(笑)
でも、おかんは大変な推測をしてしまいました。
朋輩のKaoriをデジカメで見たおかんは、
「この子はシャングリラ歌ってるグループ(チャットモンチー)のボーカルに似てるな。」
と即座に答えました。
で、それをKaoriに、おかんがテキトーなコト言うててゴメン〜みたいに話したところ、
実際Kaoriは身内の方に全く同じコトを言われた経験があるのだとか。
いや、その、かなり、驚きました。
デジカメの画像数枚だけでソレを見抜いたおかんって…
…スゴイを通り越してむしろコワいわ(笑)
そして、生態環境学のノートネタでもう1つ。
年賀状としてそのノートを実家に送るようにワタクシに頼んでたゼミ朋輩のYuki。
自分、一昨日郵便局からYukiの実家宛に普通郵便で送ったのですが、
Yukiが実家に戻った今日、もう届いたそうです。
いや〜生態環境はテストの日が早いので、早くに着いて安心しました。
さて、今回はゼミ合宿全12日のうち7日目までの日程を載せます。
その理由は…このサイト、Diary Noteさんでは10000字くらいしか書けないからです;
12日分は明らかに10000字を超えてしまいますので、すみませぬ。。。
大晦日の明日、残りの日程分+総括・考察についてまとめます♪
(1日目)
成田空港に朝7時半に、ゼミ生8人+先生の集合。それ以前に京成船橋駅でJumpeiとTatsuyaに会ったのは驚きました。寒い気候ながらもガマンして薄着で向かいました。待ってろ南国、みたいな感じで。飛行機は5回目ではありましたが、やはり落ち着けず怖かったです。飛行機初体験のTatsuyaの方がよっぽどリラックスしてたような…。初海外のワタクシ、6時間半のフライトは結構キツかったです。ただ酔わなかった事が御の字でした。
14時・バンコク空港。やっぱタイはオニ暑かったっす。先生は諸事情により別便の飛行機でタイ入りしたので再会するのに少々手間取りました。とは言え、先に現地入りしていたYui・Yuki・Thanh Nhaのゼミ生3人とも無事に合流し、今合宿参加の11名+先生が揃いました。またシンガポールまでのガイドをしてくれる先生のお知り合い、Pitsa(ピサ)とも初顔合わせ。が、Pitsaがガイドを務めるのは、再びバンコクに戻る4日目から。なのでこの日はバンコクからチェンマイに飛ぶ我々を見送ってくれました。
20時・チェンマイ。空港から赤バスでホテルへ向かいます。赤バスはギリ12名+各荷物が乗れました。自分はバスの後ろ、梯子に捕まって半ば半身になりながら乗りまして、チェンマイの夜風を感じながら… … …ってか、結構コワくて必死に梯子に捕まってましたけどね、内心。ホテル着いてから何するんかな〜って思ったら、翌日のカレン族の村のホームステイについての詳細確認をしました。我々日本人の出し物としてダンス・ティーセレモニー・折り紙をする事に。ティーセレモニーや折り紙は日本的文化として相応しいですが、ダンスは「ハレ晴レユカイ」だったので、多少(?)方向性の違う日本文化を提供する事となりました。でも、こういう交流も楽しそうだと自分はめっさノリノリでしたけどね。で、詳細確認後、ゼミ生みんなで「ハレ晴レユカイ」の練習をしました。踊ることが出来るNaomiと自分が手順を教えての1時間半ほどの練習でしたが、みんな一生懸命ダンスを覚えてくれました。この練習、個人的にはかなり印象に残っています。ゼミの朋輩と共に1つの事に取り組むという画が好きな自分ならではの感想です。
(2日目)
カレン族の村へ行くにあたり、我々のガイドをしてくださる押山先生と合流しました。押山先生は他大の先生ですが、ひょんなコトから我がゼミの先生と知り合いになり、今回のホームステイの手配等をしてくださった先生です。赤バスと押山先生の車に分乗して、まずはカレン族に関係のある歴史の古いお寺(ジャムロン寺?)に行き、7代目住職からお話を伺いました。カレン族についての話だけではなく、戦時、日本がメイワン郡の中心地であるこのお寺を拠点にしていた事など、日本とタイの関係についての話も聴けたので非常に興味深かったです。
お寺を後にした自分達は、ダイレクトにカレン族の村に行くのではなく、途中で象に乗って森の散策をしました。各象に2人ずつ乗ってゆったりゆったり…、と思ったら結構揺れんのね、象さんの背中。Kaoriと乗った自分の象はマイペースな象さんでした。ゆっくり道なりに歩くかな〜思たら急に早歩きしたり、エサのバナナをめっさ欲しがる時もあれば全然欲しがらない時もあったり。他の朋輩達の象さんもそれぞれ性格があるらしく、その性格を推測するのも楽しかったです。我々が乗った象とは別に赤ちゃん象さんも散策についてきて、その象さんがたまらなく可愛かったです。
散策が終われば、昼食後にいよいよカレン族の村に向かう事に。あれ?トラックの後ろ乗っててTatsuyaが帽子を紛失したのってこの時やっけ?あ、象さんに乗る前か。あの時はTatsuyaが凹んでてホンマに声のかけようがなかったわ〜。さて、カレン族の村は山中にありました。到着した後、村の文化センター(高床式)へ行き、村人さんからカレン族の文化・生活様式についての話を聴きました。そしてその話に出てきた文化を知りに村の中を散策し、理解を深め、同時に村人の様子、生活の様子も少し窺えました。カレン族の人々は基本カレン語を話し、日本語は勿論、英語・タイ語も通じません。この状況でホームステイをするというのも酷でした。が、言葉のないコミュニケーションというものを体験するという点ではレアな体験をする事となりました。しかし押山先生だけではなく、ちょうど村に滞在していた押山先生の教え子さん2人もカレン語を話せるので、架け橋として非常に助けていただきました。
いよいよ各自ホームステイ先の家へ。人数の都合(2人で1家庭)で、自分は先生と同じお宅にステイする事になりまして。家主さんはゲオさん、村ではパティ・ゲオと呼ばれています(カレン語でパティ=おじさん)。元村長のパティ・ゲオ、実は彼は日本に相当縁があります。というのも、彼の息子さんは日本人の女性と結婚し、現在は福岡に住んでいるのだとか。その結婚式の写真も見せてくださいましたし、パティ・ゲオも「とてもありがとう」などの日本語を少し話せるようでした。タイの少数民族の方にも日本が知られていると思うと嬉しくなります。
暫し自由時間。その後、各家庭で夜の食事を出していただき、我々ゼミ生・先生・押山先生と村人さん達は村の学校へ集合。文化交流会が始まりました。まずは村の若者達による剣術の披露と楽器の弾き語り。カレン独特の文化でしょうか、日本のそれらとはどこか違う印象を受けました。文化の差異を感嘆できた事は合宿の目標を達成できたと言ってよさそうです。そのお礼になるのかは不明でしたが、我々は練習を重ねた「ハレ晴レユカイ」をフルにDANCED(4分)。なかなかウケは良かったです(ホンマか?)、少なくとも押山先生は非常に感嘆してくださいまして、特に我々の「団結力」を褒めていただきました。考えてみれば、タイ北部の山中で「ハレ晴レユカイ」の曲を流し、精一杯踊ったというこの事実は、ものすごく大きなことなのではないでしょーか。いや、それがマイナスなのかプラスなのかはわからんけど。(笑)その後、カレンの大人の方をメインにティーセレモニー(お茶会)の真似事を披露しました。実際披露したのは、大学で茶道サークルに入っているNaomi。真似事、というコトバが絶対相応しくないほど本格的なイベントとなりました。カレンの大人の方は非常に興味を示してくださったようです。「ハレ晴レユカイ」を踊り(動)、その直後にティーセレモニー(静)で日本を魅せるNaomiの適応能力には終始脱帽でした。他のゼミ生は村の子供達に折り紙を教え、和やかな雰囲気で文化交流会は幕を閉じました。かなり内容の濃い、充実した1日となりました。
(3日目)
タイとは言え、山中の朝は冷えます。先生は寝袋から身体を出して寝た為、ちょっと風邪気味だと仰っていました。そのような朝の会話から始まった合宿3日目。村の目覚ましはニワトリの鳴き声です、数が多すぎるので寝起きが悪い人も安心です。少し早めに眼が覚めたワタクシは村の中を散策。太陽が顔を出して間もないのに、村人さんはせっせと働いていました。手を合わせて覚えたてのタイ語で挨拶、言葉は通じなくても笑顔を見れば挨拶を返してくれたのだと分かります、その瞬間は今でもなお好きです。散策から戻れば、パティ・ゲオが家の外で焚き火をしていたので自分も一緒することに。いくら日本に縁のあるパティ・ゲオでもコトバでのコミュニケーションはやはり通じにくく、会話はなかなか進まなかっただろうと思います。でも、その時は話す内容の質よりも、話す量、何より1対1で話せた事が非常に嬉しかったです。パティ・ゲオが笑顔を浮かべてくれる度、自分も自然と笑顔が前面に出ていただろうと、振り返ってみればそう感じます。
朝食後、パティ・ゲオの一家とのお別れです。短い間でしたが、めっさ有意義な時間を過ごせたとつくづく思います。デジカメに映るパティ・ゲオの一家の顔を見ると、今でも村での生活が即座に頭の中に思い浮かんできます。その後、再び村の学校に集合し、カレンの生活に対する最後の質疑応答。恋愛的な話が多かったよーな。カレン族について多くの話が聴けた所で、いよいよ村から離れる時が。デジカメを回しまくると共に、村人さんにお礼を言い回りました。赤バスに乗って帰る時はやはり切ない気分になりましたね。
チェンマイ市内に戻ってまいりまして、ホテルで1時間ほど時間を潰した後、昼食へ外に出ました。東南アジアのご飯はやはり辛い物が中心でして、この昼食で食べた麺も相当辛かったです。タイ・マレーシア・シンガポール通して、辛いといわれる料理は辛党の自分でもキツイ食べ物もありました。まぁこれも経験、何でも経験ありき、です。昼食後はゼミ生+先生全員一致でタイ古式マッサージを受けに行きました。自分、マッサージ自体が人生初だったのでめっさ困りましたが、Jumpei・Yuki・Yuiと同じ部屋だったので心強かったです。Jumpeiを担当したおばちゃんが、かなりの責めっぷりを見せたのがかなりウケました。自分は経営者と思われる男性にグイグイ(?)してもらいまして。ウトウトしてくると必ずグキッときたので眠れなかったですが、2時間のマッサージ自体はかなり気持ちよかったです。
辺りが暗くなってきまして、我々は赤バスに乗って夜店で賑わうナイトバザールへ。夕食を済ませた後、3時間ほどの自由時間。Jumpei・Tatsuyaと共に夜店をグルグルと廻りまして、物価の安いこのタイでお土産もある程度買っておこうという思いで時間をほぼフルに使いました。日本の時よりも胸張って値切りに挑戦しまして、ちょっとボッタクられた品物もあったかもしれませんが、個人的には良い買い物が出来たと思います。ものすごいヒトの数でしたけどね、ファラン(白人さん)も多かったです。タイのお店では、銀製品と布製品が目立ったように感じられました。そして何よりも象デザインの製品が多かったですね、言わずもがな自分もバッチリ買いましたよ。この日一番の買い物は、先生が当日友達になった黒人さんのお店で買ったオレンジ色のブレスレットでした。150バーツという破格(?)でしたけども、自分は結構気に入ってます、このブレスレット。カレン族⇒マッサージ⇒ナイトバザールと、言葉通り‘タイ’を体験できた1日となりました。
(4日目)
午前中は山の上にある、先生お気に入りのお寺に行く事となりました。途中、チェンマイ大学の構内を通って向かいましたが、スケールがでか過ぎます。平気で構内をクルマが走り…どこまでが構内なのか分かりません、そんな広さです。さて、山中のお寺に着きましたら超ビックリ、なが〜〜〜い石段が我々を待ち受けていました。チェンマイ大学とは違う意味でスケールがでかかったです。ヒーヒー言いながら石段を駆け上がると、金でビッシリのお寺がどしーんと。mixiからの来訪者の方はアルバムに載せると思います、多分。このお寺は確か足が見える服装は禁止やったんかな?一部の女子がロングスカートのような布を腰に巻いていました。また靴も脱いだんやったな、確か。場所によってそのようなきまりがあるという事も、日本国民であるワタクシからすれば非常に興味深かったです。ここでのレア体験は、身を清める目的で住職さんに直接腕に巻いていただいた白い紐。白いミサンガを想像していただければ結構です。この紐が腕に巻かれている限り幸運が続くとか。…絶対切れんでくれよ!
山を下り、再び来ましたチェンマイ大学。その学食で昼食を食べ(安かったな〜)、その後はチェンマイ市街にあるショッピングセンターへ。外観は何かの収容所みたいな感じでしたが、中は日本と似たショッピングセンターでした。特に買うものもなかったので、自由時間はNaomiの買い物に同行させてもらうことに。お土産を買うという目的に沿いつつ、気がつけば「まがい物」を探す旅をしてました。実際日本語を間違えてる品物とかあったしな、かなり笑わせてもらいました。
この日はチェンマイを出る予定でしたが、ホテルに戻った後、時間の許す限りもう1つお寺に行きました。この参加は任意だったので先生・Yuki・Reika・Kaori・Thanh Nha・自分で行きました。修行僧が多く居たこのお寺では、門扉と窓に施された漆塗りが何といっても魅力的でした。大きな扉ビッシリに描かれた漆、しかもそのキメの細かさが価値を格段に跳ね上げているのだと即座に感じました。価値と歴史、同時に感じ取れるお寺でしたね。
バンコクからチェンマイに入る時は飛行機でしたが、出るときは寝台車で出ました。寝台車も人生で初体験だったのでレアでした。寝台車でのゼミ生や先生とのマッタリムードも個人的に好きな時間でしたね。特に男子3人+先生でやった大貧民はかなり盛り上がりました、自分は大富豪と大貧民という両極を彷徨ってましたが、現世ではそんな生き方をしないことを望みます。長いこと列車に揺られて、翌朝バンコクへと戻ってまいりました。
(5日目)
バンコクの空港駅に到着したのは5日目の朝。ここでガイドのPitsaと再会。Pitsaはタイの王宮で働くエリート(?)。タイ語は勿論、英語、日本語は流暢、マレー語や中国語も話せるのだとか。でも人柄はとっても優しいヒトで、旅の最後までものすっごくお世話になりました。さて、再会後は早速飛行機で南部クラビーへ飛びました。短いフライトでしたが、空港に降り立つとバンコクとはまた違ったアツさが襲ってきました。空港到着も、また移動、今度はバンで目的地ランタ島へ向かいます。その途中、お昼を食べたり温泉の滝に寄ってみんなで騒いだりしまして、通過点だと考えていたクラビーを充分に満喫しました。
ランタ島までは結構な時間を要しました。というのも、目的地までは2回フェリーに乗らなくてはならず、その待ち時間が喰ってしまったんですね。でもその待ち時間も有意義に過ごせました。先生からはマングローブの環境問題や天然ゴムの話を細かく聴く事ができましたし、ドイツ人ながら東京在住のビジネスマン、フィリップとも出会えましたし。タイという地で日本について語り合えるヒトと出会えたのはかなり感動モノでした。フィリップは東京からNYに転勤する前の旅行としてタイに来ていたようで、後々Jumpei達がその同僚さんともお話していたようです。
さて、フェリーを乗り継いでランタ島のホテルに着いたのは夕方。コテージの各部屋、多すぎる吹き抜け、自由すぎる環境、ホテル前には海・白い砂浜。リゾート地と呼ぶに相応しいホテルでした。ちょっぴりサービス精神には欠けていた所でしたが、そこまで問題もなかったです。到着が遅かったので、部屋でヒト段落してからすぐに夕食へ。波の音を聴きながら食べる夕食は格別でしたね。そのようなムードのままゼミ生で砂浜に出てみました。椅子に座って色々と語ったり、砂浜ではしゃいだり、UFOと交信したり(Tatsuya)、ゼミ生で盛り上がりました。繰り返しになりますが、自分、こういう時間の過ごし方がすげー好きです。朋輩意識の再認ができた瞬間やと感じます。
(6日目)
朝ごはんはビュッフェやぁ〜!と内心思ったところから始まりました、6日目の朝。この日はランタ島の環境調査(マングローブ)の為、まずは島の反対側へ廻り、そこからボートに乗って…という流れでした。ところが、乗ったボートがかなりの不調で、なかなか出発できませんでした。ぼろぼろぷっすんな状況下、ようやく発進し、マングローブ林へ。根っこが張っていたり泥地になっていたりしていた水際でマングローブの種を植えてきました、植林です。足場が相当悪く(特に泥地)、みんな足元を泥まみれにしながら苦戦していましたが、この体験も貴重なものやと先生が力説してくださいました。確かに日本じゃ経験でけへんな、うんうん。
ボートを岸に寄せて半ば水上のレストランで昼食。その後、キレイなビーチにでも行こうという事になりましたが、不調なボートが全く動かなくなりまして。結局ホテルまでバスで帰ることとなりました。しかし、ホテルに戻れば各自、海に入ったりプールに入ったり、リゾートを思い切り堪能していました。言わずもがな、自分もです。女子は8人でシンクロしてましたが、その団結に感嘆しましたよ。押山先生が「ハレ晴レユカイ」について感嘆されていた気持ちが分かりました!(絶対違う 笑) リゾートを体感し、満足したワタクシは、着替え終わって洗濯を済ますと先生の部屋へ殴り込み(?)に行き、色々とお話をさせていただきました。途中からKaoriも参加してくれて、FLPやゼミ選考のウラ話を聴く事ができましたよ、ひひひ(?)。
夕食時、夕食後も先生やゼミ生と技術論の話などで盛り上がりました。談議が大好きなワタクシからすると、とても有意義な時間を過ごせたといえます。砂浜で行なわれたファイヤーダンスも観ててアツくなりました。パフォーマンス後、地味ながらにちゃんと消火作業をしていたパフォーマーが地味にカッコよかったです。リゾート地で過ごすのもこの日が最後。2泊しましたが、かなり寂しかった覚えがあります。
(7日目)
この日はいよいよタイからマレーシアへと越境をする日でした。ランタ島からはとりあえず、行きと同じくフェリーを乗り継ぎマレー半島へ戻ります。そして越境する列車に乗るため、駅のあるハジャイという街へ。結構でかめの街でして、昼はここでKFCを食べました。メニューは日本と変わらへんのかな?味もフツーに美味かったです。記念に(?)チリソース持って帰ってきました、かなりレアっす(そうか?)。その後、すぐに寝台車には乗らず、その寝台車に乗り継ぐ列車に乗り込み、国境の街まで行く事に。その車内でラジオというアイルランド人と出会いました。彼はフィリピンにいる友人に会うためにマレーシア入りをするという事であり、更に出発まではクアラ・ルンプールに留まるという事でしたので自分達と目的地は同じでした。
さて、国境の街に着くと早速出国手続と入国手続をしました。陸繋がりの越境は言わずもがな初体験だったのでちょっと緊張しましたが、Pitsaのアドバイスや的確な指示があったので、特にトラブルもなく済ませる事が出来ました。陸繋がりの越境は風景が急に変わることがない為か、さよならタイ、よろしくマレーシアという感じは越境当初はあまりしませんでした。それと、時差が1時間も変わってしまうという事も。しかし、寝台車に乗り換えて食堂車で再び大貧民に精を出しながら過ぎ行く風景を見ていると、やはりタイとマレーシアでは風景や時間感覚が異なりましたね。どちらも自然で溢れた風景は眼に留まるものがあったのですが、どうもどこかが違う気がしました。言葉で表現できない風景や時間感覚の差、‘覚’というべきか‘暗黙知’というべきか、奥深いですねぇ。。。
列車に乗って数時間、買い込んだ夕食も食べ、途中駅でPitsaの友人が差し入れてくれたデザート(カレーでしたけど 笑)にも舌鼓を打ち、もしかして寝るっぽい雰囲気かと思っていましたら、BUTTERWORTHという駅で45分間の停車をするとのPitsa情報が。夜で辺りは暗かったですが、駅から見えるペナン島を観に列車を降りました。やはり少々見えにくかったですが、BUTTERWORTHの夜景を堪能できたので良しです。で、他の場所を観に行った先生や他のゼミ生とは別に、自分とJumpeiは列車に先に戻ることにしました。…が、さっき降りた列車がホームにありませんで、めっさ焦りました。もしかして、置いてけぼり?みたいな空気が流れる事数秒。Jumpeiは「残されてもこっちにはPitsaと先生もいるし、心強いのはこっちだよ」と冷静に発言。さすがはゼミ長!でも列車に乗ったままやったTatsuyaって一体…。(笑) 結局列車は数分後、別のホームに戻ってきました。ヒヤヒヤした思いを味わいましたが、ハプニングは旅にツキモノですからね、いい勉強になりました。
では、8日目クアラ・ルンプールからはまた明日に。。。
昨日で年内のバイトも終わり、キッチリ仕事納めも迎える事ができました。
そして30日の今日は、ゼミの朋輩であるKaoriが生態環境学のノートを求め、
わざわざ東浦和まで足を運んでくれました。
ノートをミニストップでコピーして、近くのジョナサンでお昼をゴチソウになりまして。
わざわざ辺境の地・東浦和まで来てもらった上にお昼をゴチソウしてくれるとは、
何か、ちょっと申し訳なかったですが。。。
でも、いざ時間が過ぎていけば、かなり話が盛り上がりまして。
ゼミ合宿の話は勿論、ゼミ生の話や中高大の話まで色々話が出来てめっさ楽しかったです。
家を出るときは、おかんに「ちょっと、行ってくるわ」とだけ残したワタクシ。
流石に「ゼミの女子と昼飯食ってくるわ」とは言えませんでした。
言えばほぼ100%の可能性で同伴したでしょうし。(笑)
でも、おかんは大変な推測をしてしまいました。
朋輩のKaoriをデジカメで見たおかんは、
「この子はシャングリラ歌ってるグループ(チャットモンチー)のボーカルに似てるな。」
と即座に答えました。
で、それをKaoriに、おかんがテキトーなコト言うててゴメン〜みたいに話したところ、
実際Kaoriは身内の方に全く同じコトを言われた経験があるのだとか。
いや、その、かなり、驚きました。
デジカメの画像数枚だけでソレを見抜いたおかんって…
…スゴイを通り越してむしろコワいわ(笑)
そして、生態環境学のノートネタでもう1つ。
年賀状としてそのノートを実家に送るようにワタクシに頼んでたゼミ朋輩のYuki。
自分、一昨日郵便局からYukiの実家宛に普通郵便で送ったのですが、
Yukiが実家に戻った今日、もう届いたそうです。
いや〜生態環境はテストの日が早いので、早くに着いて安心しました。
さて、今回はゼミ合宿全12日のうち7日目までの日程を載せます。
その理由は…このサイト、Diary Noteさんでは10000字くらいしか書けないからです;
12日分は明らかに10000字を超えてしまいますので、すみませぬ。。。
大晦日の明日、残りの日程分+総括・考察についてまとめます♪
(1日目)
成田空港に朝7時半に、ゼミ生8人+先生の集合。それ以前に京成船橋駅でJumpeiとTatsuyaに会ったのは驚きました。寒い気候ながらもガマンして薄着で向かいました。待ってろ南国、みたいな感じで。飛行機は5回目ではありましたが、やはり落ち着けず怖かったです。飛行機初体験のTatsuyaの方がよっぽどリラックスしてたような…。初海外のワタクシ、6時間半のフライトは結構キツかったです。ただ酔わなかった事が御の字でした。
14時・バンコク空港。やっぱタイはオニ暑かったっす。先生は諸事情により別便の飛行機でタイ入りしたので再会するのに少々手間取りました。とは言え、先に現地入りしていたYui・Yuki・Thanh Nhaのゼミ生3人とも無事に合流し、今合宿参加の11名+先生が揃いました。またシンガポールまでのガイドをしてくれる先生のお知り合い、Pitsa(ピサ)とも初顔合わせ。が、Pitsaがガイドを務めるのは、再びバンコクに戻る4日目から。なのでこの日はバンコクからチェンマイに飛ぶ我々を見送ってくれました。
20時・チェンマイ。空港から赤バスでホテルへ向かいます。赤バスはギリ12名+各荷物が乗れました。自分はバスの後ろ、梯子に捕まって半ば半身になりながら乗りまして、チェンマイの夜風を感じながら… … …ってか、結構コワくて必死に梯子に捕まってましたけどね、内心。ホテル着いてから何するんかな〜って思ったら、翌日のカレン族の村のホームステイについての詳細確認をしました。我々日本人の出し物としてダンス・ティーセレモニー・折り紙をする事に。ティーセレモニーや折り紙は日本的文化として相応しいですが、ダンスは「ハレ晴レユカイ」だったので、多少(?)方向性の違う日本文化を提供する事となりました。でも、こういう交流も楽しそうだと自分はめっさノリノリでしたけどね。で、詳細確認後、ゼミ生みんなで「ハレ晴レユカイ」の練習をしました。踊ることが出来るNaomiと自分が手順を教えての1時間半ほどの練習でしたが、みんな一生懸命ダンスを覚えてくれました。この練習、個人的にはかなり印象に残っています。ゼミの朋輩と共に1つの事に取り組むという画が好きな自分ならではの感想です。
(2日目)
カレン族の村へ行くにあたり、我々のガイドをしてくださる押山先生と合流しました。押山先生は他大の先生ですが、ひょんなコトから我がゼミの先生と知り合いになり、今回のホームステイの手配等をしてくださった先生です。赤バスと押山先生の車に分乗して、まずはカレン族に関係のある歴史の古いお寺(ジャムロン寺?)に行き、7代目住職からお話を伺いました。カレン族についての話だけではなく、戦時、日本がメイワン郡の中心地であるこのお寺を拠点にしていた事など、日本とタイの関係についての話も聴けたので非常に興味深かったです。
お寺を後にした自分達は、ダイレクトにカレン族の村に行くのではなく、途中で象に乗って森の散策をしました。各象に2人ずつ乗ってゆったりゆったり…、と思ったら結構揺れんのね、象さんの背中。Kaoriと乗った自分の象はマイペースな象さんでした。ゆっくり道なりに歩くかな〜思たら急に早歩きしたり、エサのバナナをめっさ欲しがる時もあれば全然欲しがらない時もあったり。他の朋輩達の象さんもそれぞれ性格があるらしく、その性格を推測するのも楽しかったです。我々が乗った象とは別に赤ちゃん象さんも散策についてきて、その象さんがたまらなく可愛かったです。
散策が終われば、昼食後にいよいよカレン族の村に向かう事に。あれ?トラックの後ろ乗っててTatsuyaが帽子を紛失したのってこの時やっけ?あ、象さんに乗る前か。あの時はTatsuyaが凹んでてホンマに声のかけようがなかったわ〜。さて、カレン族の村は山中にありました。到着した後、村の文化センター(高床式)へ行き、村人さんからカレン族の文化・生活様式についての話を聴きました。そしてその話に出てきた文化を知りに村の中を散策し、理解を深め、同時に村人の様子、生活の様子も少し窺えました。カレン族の人々は基本カレン語を話し、日本語は勿論、英語・タイ語も通じません。この状況でホームステイをするというのも酷でした。が、言葉のないコミュニケーションというものを体験するという点ではレアな体験をする事となりました。しかし押山先生だけではなく、ちょうど村に滞在していた押山先生の教え子さん2人もカレン語を話せるので、架け橋として非常に助けていただきました。
いよいよ各自ホームステイ先の家へ。人数の都合(2人で1家庭)で、自分は先生と同じお宅にステイする事になりまして。家主さんはゲオさん、村ではパティ・ゲオと呼ばれています(カレン語でパティ=おじさん)。元村長のパティ・ゲオ、実は彼は日本に相当縁があります。というのも、彼の息子さんは日本人の女性と結婚し、現在は福岡に住んでいるのだとか。その結婚式の写真も見せてくださいましたし、パティ・ゲオも「とてもありがとう」などの日本語を少し話せるようでした。タイの少数民族の方にも日本が知られていると思うと嬉しくなります。
暫し自由時間。その後、各家庭で夜の食事を出していただき、我々ゼミ生・先生・押山先生と村人さん達は村の学校へ集合。文化交流会が始まりました。まずは村の若者達による剣術の披露と楽器の弾き語り。カレン独特の文化でしょうか、日本のそれらとはどこか違う印象を受けました。文化の差異を感嘆できた事は合宿の目標を達成できたと言ってよさそうです。そのお礼になるのかは不明でしたが、我々は練習を重ねた「ハレ晴レユカイ」をフルにDANCED(4分)。なかなかウケは良かったです(ホンマか?)、少なくとも押山先生は非常に感嘆してくださいまして、特に我々の「団結力」を褒めていただきました。考えてみれば、タイ北部の山中で「ハレ晴レユカイ」の曲を流し、精一杯踊ったというこの事実は、ものすごく大きなことなのではないでしょーか。いや、それがマイナスなのかプラスなのかはわからんけど。(笑)その後、カレンの大人の方をメインにティーセレモニー(お茶会)の真似事を披露しました。実際披露したのは、大学で茶道サークルに入っているNaomi。真似事、というコトバが絶対相応しくないほど本格的なイベントとなりました。カレンの大人の方は非常に興味を示してくださったようです。「ハレ晴レユカイ」を踊り(動)、その直後にティーセレモニー(静)で日本を魅せるNaomiの適応能力には終始脱帽でした。他のゼミ生は村の子供達に折り紙を教え、和やかな雰囲気で文化交流会は幕を閉じました。かなり内容の濃い、充実した1日となりました。
(3日目)
タイとは言え、山中の朝は冷えます。先生は寝袋から身体を出して寝た為、ちょっと風邪気味だと仰っていました。そのような朝の会話から始まった合宿3日目。村の目覚ましはニワトリの鳴き声です、数が多すぎるので寝起きが悪い人も安心です。少し早めに眼が覚めたワタクシは村の中を散策。太陽が顔を出して間もないのに、村人さんはせっせと働いていました。手を合わせて覚えたてのタイ語で挨拶、言葉は通じなくても笑顔を見れば挨拶を返してくれたのだと分かります、その瞬間は今でもなお好きです。散策から戻れば、パティ・ゲオが家の外で焚き火をしていたので自分も一緒することに。いくら日本に縁のあるパティ・ゲオでもコトバでのコミュニケーションはやはり通じにくく、会話はなかなか進まなかっただろうと思います。でも、その時は話す内容の質よりも、話す量、何より1対1で話せた事が非常に嬉しかったです。パティ・ゲオが笑顔を浮かべてくれる度、自分も自然と笑顔が前面に出ていただろうと、振り返ってみればそう感じます。
朝食後、パティ・ゲオの一家とのお別れです。短い間でしたが、めっさ有意義な時間を過ごせたとつくづく思います。デジカメに映るパティ・ゲオの一家の顔を見ると、今でも村での生活が即座に頭の中に思い浮かんできます。その後、再び村の学校に集合し、カレンの生活に対する最後の質疑応答。恋愛的な話が多かったよーな。カレン族について多くの話が聴けた所で、いよいよ村から離れる時が。デジカメを回しまくると共に、村人さんにお礼を言い回りました。赤バスに乗って帰る時はやはり切ない気分になりましたね。
チェンマイ市内に戻ってまいりまして、ホテルで1時間ほど時間を潰した後、昼食へ外に出ました。東南アジアのご飯はやはり辛い物が中心でして、この昼食で食べた麺も相当辛かったです。タイ・マレーシア・シンガポール通して、辛いといわれる料理は辛党の自分でもキツイ食べ物もありました。まぁこれも経験、何でも経験ありき、です。昼食後はゼミ生+先生全員一致でタイ古式マッサージを受けに行きました。自分、マッサージ自体が人生初だったのでめっさ困りましたが、Jumpei・Yuki・Yuiと同じ部屋だったので心強かったです。Jumpeiを担当したおばちゃんが、かなりの責めっぷりを見せたのがかなりウケました。自分は経営者と思われる男性にグイグイ(?)してもらいまして。ウトウトしてくると必ずグキッときたので眠れなかったですが、2時間のマッサージ自体はかなり気持ちよかったです。
辺りが暗くなってきまして、我々は赤バスに乗って夜店で賑わうナイトバザールへ。夕食を済ませた後、3時間ほどの自由時間。Jumpei・Tatsuyaと共に夜店をグルグルと廻りまして、物価の安いこのタイでお土産もある程度買っておこうという思いで時間をほぼフルに使いました。日本の時よりも胸張って値切りに挑戦しまして、ちょっとボッタクられた品物もあったかもしれませんが、個人的には良い買い物が出来たと思います。ものすごいヒトの数でしたけどね、ファラン(白人さん)も多かったです。タイのお店では、銀製品と布製品が目立ったように感じられました。そして何よりも象デザインの製品が多かったですね、言わずもがな自分もバッチリ買いましたよ。この日一番の買い物は、先生が当日友達になった黒人さんのお店で買ったオレンジ色のブレスレットでした。150バーツという破格(?)でしたけども、自分は結構気に入ってます、このブレスレット。カレン族⇒マッサージ⇒ナイトバザールと、言葉通り‘タイ’を体験できた1日となりました。
(4日目)
午前中は山の上にある、先生お気に入りのお寺に行く事となりました。途中、チェンマイ大学の構内を通って向かいましたが、スケールがでか過ぎます。平気で構内をクルマが走り…どこまでが構内なのか分かりません、そんな広さです。さて、山中のお寺に着きましたら超ビックリ、なが〜〜〜い石段が我々を待ち受けていました。チェンマイ大学とは違う意味でスケールがでかかったです。ヒーヒー言いながら石段を駆け上がると、金でビッシリのお寺がどしーんと。mixiからの来訪者の方はアルバムに載せると思います、多分。このお寺は確か足が見える服装は禁止やったんかな?一部の女子がロングスカートのような布を腰に巻いていました。また靴も脱いだんやったな、確か。場所によってそのようなきまりがあるという事も、日本国民であるワタクシからすれば非常に興味深かったです。ここでのレア体験は、身を清める目的で住職さんに直接腕に巻いていただいた白い紐。白いミサンガを想像していただければ結構です。この紐が腕に巻かれている限り幸運が続くとか。…絶対切れんでくれよ!
山を下り、再び来ましたチェンマイ大学。その学食で昼食を食べ(安かったな〜)、その後はチェンマイ市街にあるショッピングセンターへ。外観は何かの収容所みたいな感じでしたが、中は日本と似たショッピングセンターでした。特に買うものもなかったので、自由時間はNaomiの買い物に同行させてもらうことに。お土産を買うという目的に沿いつつ、気がつけば「まがい物」を探す旅をしてました。実際日本語を間違えてる品物とかあったしな、かなり笑わせてもらいました。
この日はチェンマイを出る予定でしたが、ホテルに戻った後、時間の許す限りもう1つお寺に行きました。この参加は任意だったので先生・Yuki・Reika・Kaori・Thanh Nha・自分で行きました。修行僧が多く居たこのお寺では、門扉と窓に施された漆塗りが何といっても魅力的でした。大きな扉ビッシリに描かれた漆、しかもそのキメの細かさが価値を格段に跳ね上げているのだと即座に感じました。価値と歴史、同時に感じ取れるお寺でしたね。
バンコクからチェンマイに入る時は飛行機でしたが、出るときは寝台車で出ました。寝台車も人生で初体験だったのでレアでした。寝台車でのゼミ生や先生とのマッタリムードも個人的に好きな時間でしたね。特に男子3人+先生でやった大貧民はかなり盛り上がりました、自分は大富豪と大貧民という両極を彷徨ってましたが、現世ではそんな生き方をしないことを望みます。長いこと列車に揺られて、翌朝バンコクへと戻ってまいりました。
(5日目)
バンコクの空港駅に到着したのは5日目の朝。ここでガイドのPitsaと再会。Pitsaはタイの王宮で働くエリート(?)。タイ語は勿論、英語、日本語は流暢、マレー語や中国語も話せるのだとか。でも人柄はとっても優しいヒトで、旅の最後までものすっごくお世話になりました。さて、再会後は早速飛行機で南部クラビーへ飛びました。短いフライトでしたが、空港に降り立つとバンコクとはまた違ったアツさが襲ってきました。空港到着も、また移動、今度はバンで目的地ランタ島へ向かいます。その途中、お昼を食べたり温泉の滝に寄ってみんなで騒いだりしまして、通過点だと考えていたクラビーを充分に満喫しました。
ランタ島までは結構な時間を要しました。というのも、目的地までは2回フェリーに乗らなくてはならず、その待ち時間が喰ってしまったんですね。でもその待ち時間も有意義に過ごせました。先生からはマングローブの環境問題や天然ゴムの話を細かく聴く事ができましたし、ドイツ人ながら東京在住のビジネスマン、フィリップとも出会えましたし。タイという地で日本について語り合えるヒトと出会えたのはかなり感動モノでした。フィリップは東京からNYに転勤する前の旅行としてタイに来ていたようで、後々Jumpei達がその同僚さんともお話していたようです。
さて、フェリーを乗り継いでランタ島のホテルに着いたのは夕方。コテージの各部屋、多すぎる吹き抜け、自由すぎる環境、ホテル前には海・白い砂浜。リゾート地と呼ぶに相応しいホテルでした。ちょっぴりサービス精神には欠けていた所でしたが、そこまで問題もなかったです。到着が遅かったので、部屋でヒト段落してからすぐに夕食へ。波の音を聴きながら食べる夕食は格別でしたね。そのようなムードのままゼミ生で砂浜に出てみました。椅子に座って色々と語ったり、砂浜ではしゃいだり、UFOと交信したり(Tatsuya)、ゼミ生で盛り上がりました。繰り返しになりますが、自分、こういう時間の過ごし方がすげー好きです。朋輩意識の再認ができた瞬間やと感じます。
(6日目)
朝ごはんはビュッフェやぁ〜!と内心思ったところから始まりました、6日目の朝。この日はランタ島の環境調査(マングローブ)の為、まずは島の反対側へ廻り、そこからボートに乗って…という流れでした。ところが、乗ったボートがかなりの不調で、なかなか出発できませんでした。ぼろぼろぷっすんな状況下、ようやく発進し、マングローブ林へ。根っこが張っていたり泥地になっていたりしていた水際でマングローブの種を植えてきました、植林です。足場が相当悪く(特に泥地)、みんな足元を泥まみれにしながら苦戦していましたが、この体験も貴重なものやと先生が力説してくださいました。確かに日本じゃ経験でけへんな、うんうん。
ボートを岸に寄せて半ば水上のレストランで昼食。その後、キレイなビーチにでも行こうという事になりましたが、不調なボートが全く動かなくなりまして。結局ホテルまでバスで帰ることとなりました。しかし、ホテルに戻れば各自、海に入ったりプールに入ったり、リゾートを思い切り堪能していました。言わずもがな、自分もです。女子は8人でシンクロしてましたが、その団結に感嘆しましたよ。押山先生が「ハレ晴レユカイ」について感嘆されていた気持ちが分かりました!(絶対違う 笑) リゾートを体感し、満足したワタクシは、着替え終わって洗濯を済ますと先生の部屋へ殴り込み(?)に行き、色々とお話をさせていただきました。途中からKaoriも参加してくれて、FLPやゼミ選考のウラ話を聴く事ができましたよ、ひひひ(?)。
夕食時、夕食後も先生やゼミ生と技術論の話などで盛り上がりました。談議が大好きなワタクシからすると、とても有意義な時間を過ごせたといえます。砂浜で行なわれたファイヤーダンスも観ててアツくなりました。パフォーマンス後、地味ながらにちゃんと消火作業をしていたパフォーマーが地味にカッコよかったです。リゾート地で過ごすのもこの日が最後。2泊しましたが、かなり寂しかった覚えがあります。
(7日目)
この日はいよいよタイからマレーシアへと越境をする日でした。ランタ島からはとりあえず、行きと同じくフェリーを乗り継ぎマレー半島へ戻ります。そして越境する列車に乗るため、駅のあるハジャイという街へ。結構でかめの街でして、昼はここでKFCを食べました。メニューは日本と変わらへんのかな?味もフツーに美味かったです。記念に(?)チリソース持って帰ってきました、かなりレアっす(そうか?)。その後、すぐに寝台車には乗らず、その寝台車に乗り継ぐ列車に乗り込み、国境の街まで行く事に。その車内でラジオというアイルランド人と出会いました。彼はフィリピンにいる友人に会うためにマレーシア入りをするという事であり、更に出発まではクアラ・ルンプールに留まるという事でしたので自分達と目的地は同じでした。
さて、国境の街に着くと早速出国手続と入国手続をしました。陸繋がりの越境は言わずもがな初体験だったのでちょっと緊張しましたが、Pitsaのアドバイスや的確な指示があったので、特にトラブルもなく済ませる事が出来ました。陸繋がりの越境は風景が急に変わることがない為か、さよならタイ、よろしくマレーシアという感じは越境当初はあまりしませんでした。それと、時差が1時間も変わってしまうという事も。しかし、寝台車に乗り換えて食堂車で再び大貧民に精を出しながら過ぎ行く風景を見ていると、やはりタイとマレーシアでは風景や時間感覚が異なりましたね。どちらも自然で溢れた風景は眼に留まるものがあったのですが、どうもどこかが違う気がしました。言葉で表現できない風景や時間感覚の差、‘覚’というべきか‘暗黙知’というべきか、奥深いですねぇ。。。
列車に乗って数時間、買い込んだ夕食も食べ、途中駅でPitsaの友人が差し入れてくれたデザート(カレーでしたけど 笑)にも舌鼓を打ち、もしかして寝るっぽい雰囲気かと思っていましたら、BUTTERWORTHという駅で45分間の停車をするとのPitsa情報が。夜で辺りは暗かったですが、駅から見えるペナン島を観に列車を降りました。やはり少々見えにくかったですが、BUTTERWORTHの夜景を堪能できたので良しです。で、他の場所を観に行った先生や他のゼミ生とは別に、自分とJumpeiは列車に先に戻ることにしました。…が、さっき降りた列車がホームにありませんで、めっさ焦りました。もしかして、置いてけぼり?みたいな空気が流れる事数秒。Jumpeiは「残されてもこっちにはPitsaと先生もいるし、心強いのはこっちだよ」と冷静に発言。さすがはゼミ長!でも列車に乗ったままやったTatsuyaって一体…。(笑) 結局列車は数分後、別のホームに戻ってきました。ヒヤヒヤした思いを味わいましたが、ハプニングは旅にツキモノですからね、いい勉強になりました。
では、8日目クアラ・ルンプールからはまた明日に。。。
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