ゼミ合宿(総括・考察)。
2008年1月3日 大学時代。こんばんは、ないとです。
今回は、ゼミ合宿からの考察や勉強になったことを書きたいと思います。
1月7日に先生に提出するレポートも、恐らくこんな感じです。←ズルイな;(笑)
◎カレン族について
ホームステイをさせていただいた、タイの少数民族カレン族。
村の訪問、ホームステイで多くの事を勉強できました。
カレンを含むタイ北部4民族の拠点であるジャムロン寺は、
それぞれの民族が問題を抱えた時の解決場所になるそうで。
こういう時は智恵や識、文化で解決を図るそうです。
移り変わる日々、問題も色々なものがあるらしく、中には解決が難しいものもあるそうです。
その中でも最近は特に、若者の価値観に関する問題は解決が難しく、
言い換えれば大事に解決したい問題なのだそうです。
その理由は、それらの民族全てが次世代の村人を育てる事を重視しているからです。
また、村人カレッジやライフユニバーシティなど、民族間の関わりも多いそうです。
カレンの文化、儀式も様々なものがあります。
まず印象に残った儀式は、黄色い布を木に巻きつけて木を出家させ、神聖な木にするという儀式でした。
このように、木や森といった自然を守ることで水をキレイにするという取り組みをしています。
また、自然との結びつきを大切にする為、新しい生命が誕生した際には木に藁を巻き、
生霊(せいれい)との繋がりを得るそうです。
しかし、現世の父母に生命が渡り1年が経つと、
生霊父母とその子との繋がりを断ち切らなくてはならず、その儀式も行なわれるそうです。
ヒトとヒト、ヒトと自然、ヒトと超自然で成り立つこの世界、
その中で智恵やスキルといったカレンの文化、人々に結びついている文化を知ってもらおうと、
彼らは村に文化センターを作ったそうです。
自分たちもそこで色々な話を伺いました。
カレンの文化は文字での継承ではなく、歌や比喩を使った口承です。暗黙知、みたいですね。
昔のカレンは自給自足の暮らし、しかし今は善いこと悪いこと問わずして生活様式が変化しました。
その変化した生活様式のうち良いものは何なのか、を村で話し合っているのだそうです。
木や皮と暮らしてきたカレン。
その生活は外部の人間による自然破壊によって変化したという声も伺えるらしいです。
昔は山の上下に暮らす人々はメーワン川を手段に、物資の需給関係でつながっていましたが、
現在は情報交換でつながっているそうです。
それは、高齢者の智恵やスキルを継承する事も含めますし、
どうやって森を守っていくか、どうやって自然と共生していくのかという事についての、
細かい情報提供も大切になってきているのだとか。
パティ・ゲオのコトバ、山間部の生活は後れがちだと思われているが、決してそうではないそうです。
グローバルな地球温暖化問題にも取り組んでいるらしいです。
それはカレンの智恵やスキルで解決を図ろうとしています。
話を聴いて、村中を散策して、ホームステイを体験して、
自分はカレン族が自然と共存している民族であるとつくづく思いました。
しかもただ単に共存するだけでなく、その繋がりを大切にするという事も分かりました。
更に、繋がりを大切にするとはいえ、それを切り離すという儀式がある事は意外でした。
自分が出来る事は、
せいぜいヒトとヒトとの繋がりを大切にする事か、ほんの少し自然に働きかける事でしょうか。
100%カレンのような働きかけはできなくても、ちょっとでも貢献できるよう生きていきたいですね。
◎言語の必要性とコミュニケーション能力
コミュニケーションの点ではカレン族の村でのホームステイは大変だと思っていました。
何せ、日本語も英語も、そしてタイ語も通じない民族だったからです。
これまで自分が接してきた外国の方は、
日本語は話せなくても英語で会話ができるという方のみでした。
そういうわけで自分は、コミュニケーションは言語で行なうものだと無意識のうちに認識していました。
しかし、実際にカレン族の村のホームステイを体験すると、
コミュニケーションは言語だけで行なうものではない、言語がなくても意思疎通は図れるのだ、
という事が切に分かりました。
確かに確実なコミュニケーションを図るには言語は必要です。
しかし、相手の喜怒哀楽という感情の基本を悟るには言語は必要なく、
その為には表情を読み取る事が必要なのだと気付きました。
感情の基本が通じ合えば、それはコミュニケーションが取れたと充分に言えるでしょう。
例えば、ご飯時に、出されたおかずに手を伸ばして笑顔でそれを摘む事や、
就寝準備時のカレン族の気遣いに対する笑顔。
自分達が浮かべた表情に対してカレン族の皆さんが浮かべた表情、もしくはその逆、
これらの表情でホームステイ先では立派にコミュニケーションができたのではないでしょうか。
そして言語なしでコミュニケーションができるという事は、
ホームステイを経験したゼミ生全員が実感し、確信を持った事であるとも思います。
◎自然景観の違い
率直に言えば、
タイ・マレーシア・シンガポールの自然景観や街並みはそれぞれ違った特徴を持つものであった、
という事です。
この3国でシンガポールの景観はやはり特異でした。
というのも、中国やインドといった、様々な国や地域の色が場所によって強く出ていたからです。
同じ国内なのに、電車を数駅乗れば別の国のような景観が広がるというこの事が、
自分にとってはとても不思議な感じがしました。
日本では他県に行ってここまでガラッと景観が変わるという事がないですしね。
確かにマレーシアやタイも、
文化の混合を表す景観や建物がありました(特にマレーシアのBaba’s House周辺は顕著でした)が、
その色が一番強かったのはシンガポールであると個人的には感じられました。
タイとマレーシアとの自然景観の違いも見事でした。
それを感じたのは2回目の寝台車に乗った時、男子3人+先生で食堂車にて大貧民をしていた時でした。
寝台車に乗った国境の街から暫くマレーシア国内の穀倉・田園地帯を列車は走ります。
先生が始めにその景観の違いを指摘されまして、
そのご指摘から自分も意識してタイとマレーシアの自然景観の違いに着眼しようと思い始めました。
広がる田園風景を見て感じたのは、田園が丁寧に区画されているという事でした。
その一方、タイで見た田園や畑は、ただただ一面に広がるばかりで、
区画という言葉は頭に思い浮かんでこなかった記憶があります。
区画の有無で善い悪いというつもりはありません。
ただ、陸繋がりの国の田園という自然風景1つをとっても、
その違いから国の違いが分かる(違う国に自分がいるという実感も湧きましたし)、
という事実はとても勉強になりました。
◎人種の違い(主語的と述語的)
日本的・ヨーロッパ的という言葉があるように、自分の頭にはタイ的という言葉も存在します。
これらの○○的という言葉はそれぞれの国の人間性・民族性を表す際にも自分は使います。
この合宿では言わずもがな、タイ的という言葉、
つまりタイという国の民族性、タイ人の方の人間性について学べました。
それは殆どの日程を共にしたタイ出身のPitsaを見ても学べましたし、
先生や他のゼミ生との会話の中でも学ぶ事ができました。
人間の本能なのかは分かりませんが、
新しい事を学ぶと同じカテゴリーに属する既存の知識と比較をしたくなります。
なので自分もタイ的、という言葉に知的刺激を受けて、
先生や他のゼミ生とはタイ的な生活と日本的・ヨーロッパ的なそれを比較する事に意識を置きました。
人種の違いについて考えてみると、個人的にはまずは宗教について思い浮かびます。
それは、Pitsaが敬虔な仏教徒であった事も関係しています。
シンガポールの佛牙寺での、彼の宗教を信仰する姿勢を見て、自分は既に日本とタイとの違いを感じました。
日本では、複雑に絡まった宗教の名前と表面を知っているヒトはいても、
深く愛すというヒトは多数ではないからです。
また、タイは王国であり、Pitsaをはじめ国民の皆さんはタイ国王を心より慕っている事も分かりました。
その一方、あまり誇れる事ではありませんが、
日本では天皇をそこまで慕っているようには感じられません。
もちろん国民が天皇を悪く言う事もないのですが、
どうも慕うという姿勢は見られないと個人的には感じられます。
この姿勢の違いは、最終的には愛国心といった事にも繋がってくると思えて仕方ありません。
人種の違いを捉える際、今回の合宿では主語的・述語的という話を先生から伺いました。
ヨーロッパのヒトは主語的、日本人は述語的なのだそうです。
主語的とは、言い換えれば我が強いという事で、
ヨーロッパのヒトは自己主体の傾向が強いという事を指しています。
という事は、述語的な日本人はその逆であるのでしょう。
よく日本人はあまり発表したがらない・引っ込み思案である、などと言われますが、
その事も日本人が述語的である事が関わっているのでしょうか。
しかし、述語的である分、空気を読むという能力に長けているのが日本人です。
KY(空気が読めない)という流行語ができるほど、
空気を読む・読まないという事が注目されているくらいですから、
この能力は大切にしていかなければならないと思います。
では、主語的・述語的な観点において、タイの方はどちらに属するのでしょうか。
若しくは、中性寄りなのでしょうか。
日本人である自分が、タイ人が主述どちらに属するのかを簡単に見極める事は当然できません。
ただ、少しずつ考えて推測していく事はできると思います。
いつしか、先生のご意見もじっくり聴いてみたいです。
◎環境問題
今回の合宿では、マングローブの調査が課題として含まれていました。
ランタ島に向かうフェリーや、ランタ島のボートでマングローブを実際見ましたが、
まずはそのスケールに驚きました。
特に6日目のボートでの調査では、
あたり一面に広がるマングローブを眼にして非常に驚いた記憶があります。
6日目は実際マングローブの茂る沼地を踏みしめ、植林もしてきました。
マングローブの種は2種類ありまして、1つは大体30cmの細く&固めの棒状のモノ。
サヤエンドウを上下に且つ真っ直ぐに引き伸ばしたような感じです。
その種はマングローブの樹上に成っていまして、何かの拍子に落下し、
そのまま地面(沼地)に突き刺さる事で木が成長していくというユニークな育ち方をするそうです。
更に面白いのが2つめの種の役割。
それは保険のようなものでして、1つめの種が垂直に地面に刺さらず横倒しで地面に落ちた場合に、
1つめの種の上方先っぽに付いた小さな種(2つめの種)が、
地面に根付いていくというカタチになるのだとか。
自然の摂理なのに、計算されているとしか思えない点が不思議です。
これもマングローブが長い時間をかけて‘最適’を探究して見出した結果なのでしょうか。
マングローブの環境問題といえば、エビの養殖地確保目的の過剰伐採です。
自分が実際眼にしたマングローブは破壊されている様子はありませんでしたが、
場所によっては凄惨な状況なのでしょう。
実地調査の際に植林ができて、ほんの少しでも環境問題の歯止めに貢献できたと思うと嬉しいです。
その他、環境問題の話としましては天然ゴムの話、パーム油の話を先生から伺いました。
特にパーム油は、名前はよく聴くものでしたが、
パーム油を生み出すアブラヤシの木が既に環境を破壊した物証となっているという事実には驚きました。
つまり、人々はアブラヤシを植える為に原生林を過剰伐採したという事で、
アブラヤシが存在する場所=伐採がなされた場所と言う事ができるのです。
アブラヤシ若しくはパーム油自体が環境にやさしくない、
と勘違いしていた自分にとってはかなり驚きの事実でした。
天然ゴムについても、ランタ島へ行く前にゴムの木を実際に眼にしました。
そして、一旦は合成ゴム(天然ゴムを使わず、原油から作ったゴム)への移行があったにも関わらず、
近年再び天然ゴムに注目が集まりつつあるという事実も先生から教えていただきました。
この再移行は、原油値の高騰も少なからず関係しているのでしょうか。
また、環境問題対策の話も、ランタ島からハジャイへと向かう車中で先生より伺いました。
京都議定書のCO2削減目標には、日本は到底届かないという見解は先生と同じでした。
それは取り組みの開始が遅かったという先生の見解に、自分も頷きました。
現在の日本・アメリカ・中国の取り組みではCO2は増え続けるばかりです。
その中で、先生はドイツの環境対策について話してくださいました。
ゴミの分別法など、日本とは取り組む方策だけでなく、姿勢そのものが違いました。
対策の方法も見習うべきですが、
それ以前に環境問題に対する意識と危機感を得ないことには、
日本の環境問題対策は一切進まないと思いました。
現在は小学生でも社会の授業でリサイクルについて深く学ぶそうです。
そして世間では4R(Reduce / Recycle / Reuse / Repair)の声も上がっています。
それでもなお、意識自体は高まりを見せていないような気がします。
これは、日本社会(政権?)の上層部が先行して対策に取り組んだり、
積極的な呼びかけ・働きかけをしていなかったりしたからだと思えてなりません。
実際のところはどうなのでしょうか。
◎戦争に対する意識
言わずもがな、自分は戦争を知らない世代です。しかし戦争を知らなくていい世代ではありません。
そんな話になったのはシンガポールに入ってから、
ゼミ朋輩とシンガポールにある戦争博物館についての話になった時でした。
太平洋戦争の事実を知っている日本人は、日本は被害者だと思う人が多いでしょう。
自分もそう思う面があります。
しかし、実際には日本も加害者になっているのです。
アメリカに対してもそうですし、アジアに対してもそうです。
日本が戦争でヒドイ事をやってきたという展示や紹介がなされているのが、
シンガポールにある戦争博物館であり、
また中国にある南京大虐殺記念館なのです。
(※南京大虐殺記念館については先生から情報を戴きました。)
たとえ世代を超えても、戦争に対する意識を持ち続けなくてはならないでしょうし、
また責任というものも感じ続けなければなりませんね。
今回、シンガポールの戦争博物館に行くことが時間的にできなかったのですが、
その意識は持ち続けたいと思います。
◎朋輩意識の再認
今回のゼミ合宿では色々な事を学ぶ事ができましたが、
この事こそがゼミ合宿で一番大きい収穫だと考えています。
11泊12日を共に過ごして、ゼミ生との団結が更に強くなったと思います。
ちょっとした会話も、日にちを経るにつれてより自然なものになっていたと感じられました。
会話だけではなく、重い女子のトランクを男子が代わって持つといったちょっとした行動も、
絆が深まった事の顕れだと言えます。
これらのちょっとした事、言い換えれば、さり気ない気遣いや思いやりを含んだ言動が、
ゼミ生の間でできたといえるのではないのでしょうか。
もう1点、より冗談を言い合える仲になったのではないかと思います。
この冗談とは、言わずもがな笑いに繋がる冗談です。
関西っぽく言えば、ボケとツッコミの調和がかなりしっかりしていたと思いました。
もちろん台本などないのに、見事なボケとツッコミが溢れていました。
また、1つの目的を複数人で行なう事が好きな自分にとって、
様々な事をゼミ生で経験できたというこの合宿はとても大きい経験でした。
ゼミ生や先生、Pitsaや彼の友人、押山先生などのこの合宿で出会った全てのヒトに感謝すると共に、
勉強した事、それがほんのちょっとした事でも、これから生きていく上で役立てていきたいです。
数年後、この合宿を振り返ってみた時に、「人生変わったなぁ〜」と思える気がしてなりません。
それだけ今回のゼミ合宿では、大きな体験をさせていただきました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ゼミ合宿の3部はどれも長くなってしまいましたが、
読んでくださった方々には感謝感謝でありますmm
ではでは☆
今回は、ゼミ合宿からの考察や勉強になったことを書きたいと思います。
1月7日に先生に提出するレポートも、恐らくこんな感じです。←ズルイな;(笑)
◎カレン族について
ホームステイをさせていただいた、タイの少数民族カレン族。
村の訪問、ホームステイで多くの事を勉強できました。
カレンを含むタイ北部4民族の拠点であるジャムロン寺は、
それぞれの民族が問題を抱えた時の解決場所になるそうで。
こういう時は智恵や識、文化で解決を図るそうです。
移り変わる日々、問題も色々なものがあるらしく、中には解決が難しいものもあるそうです。
その中でも最近は特に、若者の価値観に関する問題は解決が難しく、
言い換えれば大事に解決したい問題なのだそうです。
その理由は、それらの民族全てが次世代の村人を育てる事を重視しているからです。
また、村人カレッジやライフユニバーシティなど、民族間の関わりも多いそうです。
カレンの文化、儀式も様々なものがあります。
まず印象に残った儀式は、黄色い布を木に巻きつけて木を出家させ、神聖な木にするという儀式でした。
このように、木や森といった自然を守ることで水をキレイにするという取り組みをしています。
また、自然との結びつきを大切にする為、新しい生命が誕生した際には木に藁を巻き、
生霊(せいれい)との繋がりを得るそうです。
しかし、現世の父母に生命が渡り1年が経つと、
生霊父母とその子との繋がりを断ち切らなくてはならず、その儀式も行なわれるそうです。
ヒトとヒト、ヒトと自然、ヒトと超自然で成り立つこの世界、
その中で智恵やスキルといったカレンの文化、人々に結びついている文化を知ってもらおうと、
彼らは村に文化センターを作ったそうです。
自分たちもそこで色々な話を伺いました。
カレンの文化は文字での継承ではなく、歌や比喩を使った口承です。暗黙知、みたいですね。
昔のカレンは自給自足の暮らし、しかし今は善いこと悪いこと問わずして生活様式が変化しました。
その変化した生活様式のうち良いものは何なのか、を村で話し合っているのだそうです。
木や皮と暮らしてきたカレン。
その生活は外部の人間による自然破壊によって変化したという声も伺えるらしいです。
昔は山の上下に暮らす人々はメーワン川を手段に、物資の需給関係でつながっていましたが、
現在は情報交換でつながっているそうです。
それは、高齢者の智恵やスキルを継承する事も含めますし、
どうやって森を守っていくか、どうやって自然と共生していくのかという事についての、
細かい情報提供も大切になってきているのだとか。
パティ・ゲオのコトバ、山間部の生活は後れがちだと思われているが、決してそうではないそうです。
グローバルな地球温暖化問題にも取り組んでいるらしいです。
それはカレンの智恵やスキルで解決を図ろうとしています。
話を聴いて、村中を散策して、ホームステイを体験して、
自分はカレン族が自然と共存している民族であるとつくづく思いました。
しかもただ単に共存するだけでなく、その繋がりを大切にするという事も分かりました。
更に、繋がりを大切にするとはいえ、それを切り離すという儀式がある事は意外でした。
自分が出来る事は、
せいぜいヒトとヒトとの繋がりを大切にする事か、ほんの少し自然に働きかける事でしょうか。
100%カレンのような働きかけはできなくても、ちょっとでも貢献できるよう生きていきたいですね。
◎言語の必要性とコミュニケーション能力
コミュニケーションの点ではカレン族の村でのホームステイは大変だと思っていました。
何せ、日本語も英語も、そしてタイ語も通じない民族だったからです。
これまで自分が接してきた外国の方は、
日本語は話せなくても英語で会話ができるという方のみでした。
そういうわけで自分は、コミュニケーションは言語で行なうものだと無意識のうちに認識していました。
しかし、実際にカレン族の村のホームステイを体験すると、
コミュニケーションは言語だけで行なうものではない、言語がなくても意思疎通は図れるのだ、
という事が切に分かりました。
確かに確実なコミュニケーションを図るには言語は必要です。
しかし、相手の喜怒哀楽という感情の基本を悟るには言語は必要なく、
その為には表情を読み取る事が必要なのだと気付きました。
感情の基本が通じ合えば、それはコミュニケーションが取れたと充分に言えるでしょう。
例えば、ご飯時に、出されたおかずに手を伸ばして笑顔でそれを摘む事や、
就寝準備時のカレン族の気遣いに対する笑顔。
自分達が浮かべた表情に対してカレン族の皆さんが浮かべた表情、もしくはその逆、
これらの表情でホームステイ先では立派にコミュニケーションができたのではないでしょうか。
そして言語なしでコミュニケーションができるという事は、
ホームステイを経験したゼミ生全員が実感し、確信を持った事であるとも思います。
◎自然景観の違い
率直に言えば、
タイ・マレーシア・シンガポールの自然景観や街並みはそれぞれ違った特徴を持つものであった、
という事です。
この3国でシンガポールの景観はやはり特異でした。
というのも、中国やインドといった、様々な国や地域の色が場所によって強く出ていたからです。
同じ国内なのに、電車を数駅乗れば別の国のような景観が広がるというこの事が、
自分にとってはとても不思議な感じがしました。
日本では他県に行ってここまでガラッと景観が変わるという事がないですしね。
確かにマレーシアやタイも、
文化の混合を表す景観や建物がありました(特にマレーシアのBaba’s House周辺は顕著でした)が、
その色が一番強かったのはシンガポールであると個人的には感じられました。
タイとマレーシアとの自然景観の違いも見事でした。
それを感じたのは2回目の寝台車に乗った時、男子3人+先生で食堂車にて大貧民をしていた時でした。
寝台車に乗った国境の街から暫くマレーシア国内の穀倉・田園地帯を列車は走ります。
先生が始めにその景観の違いを指摘されまして、
そのご指摘から自分も意識してタイとマレーシアの自然景観の違いに着眼しようと思い始めました。
広がる田園風景を見て感じたのは、田園が丁寧に区画されているという事でした。
その一方、タイで見た田園や畑は、ただただ一面に広がるばかりで、
区画という言葉は頭に思い浮かんでこなかった記憶があります。
区画の有無で善い悪いというつもりはありません。
ただ、陸繋がりの国の田園という自然風景1つをとっても、
その違いから国の違いが分かる(違う国に自分がいるという実感も湧きましたし)、
という事実はとても勉強になりました。
◎人種の違い(主語的と述語的)
日本的・ヨーロッパ的という言葉があるように、自分の頭にはタイ的という言葉も存在します。
これらの○○的という言葉はそれぞれの国の人間性・民族性を表す際にも自分は使います。
この合宿では言わずもがな、タイ的という言葉、
つまりタイという国の民族性、タイ人の方の人間性について学べました。
それは殆どの日程を共にしたタイ出身のPitsaを見ても学べましたし、
先生や他のゼミ生との会話の中でも学ぶ事ができました。
人間の本能なのかは分かりませんが、
新しい事を学ぶと同じカテゴリーに属する既存の知識と比較をしたくなります。
なので自分もタイ的、という言葉に知的刺激を受けて、
先生や他のゼミ生とはタイ的な生活と日本的・ヨーロッパ的なそれを比較する事に意識を置きました。
人種の違いについて考えてみると、個人的にはまずは宗教について思い浮かびます。
それは、Pitsaが敬虔な仏教徒であった事も関係しています。
シンガポールの佛牙寺での、彼の宗教を信仰する姿勢を見て、自分は既に日本とタイとの違いを感じました。
日本では、複雑に絡まった宗教の名前と表面を知っているヒトはいても、
深く愛すというヒトは多数ではないからです。
また、タイは王国であり、Pitsaをはじめ国民の皆さんはタイ国王を心より慕っている事も分かりました。
その一方、あまり誇れる事ではありませんが、
日本では天皇をそこまで慕っているようには感じられません。
もちろん国民が天皇を悪く言う事もないのですが、
どうも慕うという姿勢は見られないと個人的には感じられます。
この姿勢の違いは、最終的には愛国心といった事にも繋がってくると思えて仕方ありません。
人種の違いを捉える際、今回の合宿では主語的・述語的という話を先生から伺いました。
ヨーロッパのヒトは主語的、日本人は述語的なのだそうです。
主語的とは、言い換えれば我が強いという事で、
ヨーロッパのヒトは自己主体の傾向が強いという事を指しています。
という事は、述語的な日本人はその逆であるのでしょう。
よく日本人はあまり発表したがらない・引っ込み思案である、などと言われますが、
その事も日本人が述語的である事が関わっているのでしょうか。
しかし、述語的である分、空気を読むという能力に長けているのが日本人です。
KY(空気が読めない)という流行語ができるほど、
空気を読む・読まないという事が注目されているくらいですから、
この能力は大切にしていかなければならないと思います。
では、主語的・述語的な観点において、タイの方はどちらに属するのでしょうか。
若しくは、中性寄りなのでしょうか。
日本人である自分が、タイ人が主述どちらに属するのかを簡単に見極める事は当然できません。
ただ、少しずつ考えて推測していく事はできると思います。
いつしか、先生のご意見もじっくり聴いてみたいです。
◎環境問題
今回の合宿では、マングローブの調査が課題として含まれていました。
ランタ島に向かうフェリーや、ランタ島のボートでマングローブを実際見ましたが、
まずはそのスケールに驚きました。
特に6日目のボートでの調査では、
あたり一面に広がるマングローブを眼にして非常に驚いた記憶があります。
6日目は実際マングローブの茂る沼地を踏みしめ、植林もしてきました。
マングローブの種は2種類ありまして、1つは大体30cmの細く&固めの棒状のモノ。
サヤエンドウを上下に且つ真っ直ぐに引き伸ばしたような感じです。
その種はマングローブの樹上に成っていまして、何かの拍子に落下し、
そのまま地面(沼地)に突き刺さる事で木が成長していくというユニークな育ち方をするそうです。
更に面白いのが2つめの種の役割。
それは保険のようなものでして、1つめの種が垂直に地面に刺さらず横倒しで地面に落ちた場合に、
1つめの種の上方先っぽに付いた小さな種(2つめの種)が、
地面に根付いていくというカタチになるのだとか。
自然の摂理なのに、計算されているとしか思えない点が不思議です。
これもマングローブが長い時間をかけて‘最適’を探究して見出した結果なのでしょうか。
マングローブの環境問題といえば、エビの養殖地確保目的の過剰伐採です。
自分が実際眼にしたマングローブは破壊されている様子はありませんでしたが、
場所によっては凄惨な状況なのでしょう。
実地調査の際に植林ができて、ほんの少しでも環境問題の歯止めに貢献できたと思うと嬉しいです。
その他、環境問題の話としましては天然ゴムの話、パーム油の話を先生から伺いました。
特にパーム油は、名前はよく聴くものでしたが、
パーム油を生み出すアブラヤシの木が既に環境を破壊した物証となっているという事実には驚きました。
つまり、人々はアブラヤシを植える為に原生林を過剰伐採したという事で、
アブラヤシが存在する場所=伐採がなされた場所と言う事ができるのです。
アブラヤシ若しくはパーム油自体が環境にやさしくない、
と勘違いしていた自分にとってはかなり驚きの事実でした。
天然ゴムについても、ランタ島へ行く前にゴムの木を実際に眼にしました。
そして、一旦は合成ゴム(天然ゴムを使わず、原油から作ったゴム)への移行があったにも関わらず、
近年再び天然ゴムに注目が集まりつつあるという事実も先生から教えていただきました。
この再移行は、原油値の高騰も少なからず関係しているのでしょうか。
また、環境問題対策の話も、ランタ島からハジャイへと向かう車中で先生より伺いました。
京都議定書のCO2削減目標には、日本は到底届かないという見解は先生と同じでした。
それは取り組みの開始が遅かったという先生の見解に、自分も頷きました。
現在の日本・アメリカ・中国の取り組みではCO2は増え続けるばかりです。
その中で、先生はドイツの環境対策について話してくださいました。
ゴミの分別法など、日本とは取り組む方策だけでなく、姿勢そのものが違いました。
対策の方法も見習うべきですが、
それ以前に環境問題に対する意識と危機感を得ないことには、
日本の環境問題対策は一切進まないと思いました。
現在は小学生でも社会の授業でリサイクルについて深く学ぶそうです。
そして世間では4R(Reduce / Recycle / Reuse / Repair)の声も上がっています。
それでもなお、意識自体は高まりを見せていないような気がします。
これは、日本社会(政権?)の上層部が先行して対策に取り組んだり、
積極的な呼びかけ・働きかけをしていなかったりしたからだと思えてなりません。
実際のところはどうなのでしょうか。
◎戦争に対する意識
言わずもがな、自分は戦争を知らない世代です。しかし戦争を知らなくていい世代ではありません。
そんな話になったのはシンガポールに入ってから、
ゼミ朋輩とシンガポールにある戦争博物館についての話になった時でした。
太平洋戦争の事実を知っている日本人は、日本は被害者だと思う人が多いでしょう。
自分もそう思う面があります。
しかし、実際には日本も加害者になっているのです。
アメリカに対してもそうですし、アジアに対してもそうです。
日本が戦争でヒドイ事をやってきたという展示や紹介がなされているのが、
シンガポールにある戦争博物館であり、
また中国にある南京大虐殺記念館なのです。
(※南京大虐殺記念館については先生から情報を戴きました。)
たとえ世代を超えても、戦争に対する意識を持ち続けなくてはならないでしょうし、
また責任というものも感じ続けなければなりませんね。
今回、シンガポールの戦争博物館に行くことが時間的にできなかったのですが、
その意識は持ち続けたいと思います。
◎朋輩意識の再認
今回のゼミ合宿では色々な事を学ぶ事ができましたが、
この事こそがゼミ合宿で一番大きい収穫だと考えています。
11泊12日を共に過ごして、ゼミ生との団結が更に強くなったと思います。
ちょっとした会話も、日にちを経るにつれてより自然なものになっていたと感じられました。
会話だけではなく、重い女子のトランクを男子が代わって持つといったちょっとした行動も、
絆が深まった事の顕れだと言えます。
これらのちょっとした事、言い換えれば、さり気ない気遣いや思いやりを含んだ言動が、
ゼミ生の間でできたといえるのではないのでしょうか。
もう1点、より冗談を言い合える仲になったのではないかと思います。
この冗談とは、言わずもがな笑いに繋がる冗談です。
関西っぽく言えば、ボケとツッコミの調和がかなりしっかりしていたと思いました。
もちろん台本などないのに、見事なボケとツッコミが溢れていました。
また、1つの目的を複数人で行なう事が好きな自分にとって、
様々な事をゼミ生で経験できたというこの合宿はとても大きい経験でした。
ゼミ生や先生、Pitsaや彼の友人、押山先生などのこの合宿で出会った全てのヒトに感謝すると共に、
勉強した事、それがほんのちょっとした事でも、これから生きていく上で役立てていきたいです。
数年後、この合宿を振り返ってみた時に、「人生変わったなぁ〜」と思える気がしてなりません。
それだけ今回のゼミ合宿では、大きな体験をさせていただきました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ゼミ合宿の3部はどれも長くなってしまいましたが、
読んでくださった方々には感謝感謝でありますmm
ではでは☆
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