さて、今回はちょっとイイ話をご紹介します。
ワタクシないとの大切な朋輩、アーチ(大学新4年)。
彼には2つ下の妹、サコちゃんがいます。
この話を紹介してもらって、兄妹って大変な部分もあるのだけれど、それでもやっぱりイイものだな、そう実感できました。
この話の主人公は“私”である“サコちゃん”。
<05年1月:父さんの死と母さんの決断。>
私が中学3年、兄さんが高校2年だった冬、大好きだった父さんが病気で死んでしまった。大黒柱を失った我が家、その中で母さんが年明けに出した結論、それが3月からの兄さんとの2人暮らしだった。言うまでもなく、その決定には兄さんも私も驚いた。兄さんはどう思っていたのか分からないけれど、正直私は兄さんと2人で暮らすだなんて、当時はしたくなかった。でも哀しみに暮れる中、母さんが受験を迎える私達のために良い環境を調えてくれたと思うと、首を縦に振るしか私にはできなかった。それまでの兄さんは私と対照的な性格だった事もあって、そう言うほど接点がなかった。いわば兄さんは光で私は影。兄さんは明るくて輪の中心に向かって行くタイプだったのに対し、私は感情表現や人と接する事が苦手なタイプだった。そんな兄さんと私は、同じ屋根の下に暮らす兄妹としては、関わりがとてもぎこちなかったと今では思う。暗めの私は、対照的に明るい兄さんに多少の恐れを感じていて、丁寧語は使わないにしろ、兄さんの言う事やる事に否定的な口出しをした事がなかった。仲が悪かった訳ではなかったけれど、ハッキリ言って私は兄さんを、父さんや母さんみたいに身近に感じられなかった。同じ小中に通うにも、登校の際は私が兄さんの後についていき、兄さんが私に話題を振れば、私はそれに対していつでも肯定的な態度に出た。でもそれは今思うと、対照的に明るい兄さんを恐れての私の一方的な逃避だったのかもしれない…。とにかく、この頃は3月から始まる2人きりの生活に対してプラス思考になれない私がいた事に違いはない。
<05年3月:引越し。>
それから約2ヵ月後、私と兄さんは実家の山梨を離れて埼玉にやってきた。叔父さんが借りてくれたマンション。立派な居間・キッチン・お風呂もあり、2人で住むには十分すぎるほどの広さだった。そこでいよいよ私と兄さんの生活が始まろうとしていた。引越しの日は当然、母さんや叔父さんも手伝いに来てくれ、生活品の確認・場所の把握などは順調にこなせた。でも、その時兄さんは叔父さんと大きめの家財道具を搬入するなどしていたため、私は兄さんと話す事なく、あっという間に1日が過ぎてしまった。そして翌日の午後、母さんと叔父さんは「仲良くね」という言葉を笑顔で残して山梨へ帰ってしまった。
引越し後初めての会話はやはり兄さんから切り出した。
「いよいよ~、新しい生活が始まるけど…。」
玄関の前で立っていた私に、兄さんは手招きをしつつそう言った。急に話しかけられて驚いたが、私は黙って兄さんの居る居間の方へ向かった。
「…う、うん。。。」
やはり兄さんの発言を肯定するに留まってしまった。実家に居た時から兄さんとの会話は、兄さんが発言し、それを躊躇しながら私がいつでも肯定するという形が固まっていた。
「こっち。こっちの部屋、俺の受験勉強部屋にしてもいい?」
私が居間へ足を運んだ時、兄さんは隣室への扉を軽く開けて笑顔でそう訊いた。
「…うん、いいよ。」
詮索する間もなく真顔で肯定する私。まだまだ兄さんに対する‘恐れ’があったのだろう。2人の生活が始まったこの瞬間ばかりは、何を言われても断る気なんて起きなかった。私が恐れを感じていた兄さんはその時もやはり笑顔だった。
そのようなギクシャクした生活は4月の頭まで続いた。挨拶などの必要最低限の会話は交わすものの、大抵兄さんが発言し始めて、私の方が話の流れを止めていた。だって、明るく話しかける兄さんに上手く話で対応する事が私にはまだ出来なかったから…。兄さんが楽しそうに話しているのに私が下手な表情で聞くのも申し訳なかったから…。そう思い続けたにも拘らず、兄さんはいつでも私に明るく話しかけ続けてくれた。
<05年4月:転機。>
ギクシャクした生活が1週間ばかり続いた後、私は高校の入学式を迎えた。中学から続けていた剣道がやりたいという理由、そして何よりも学力差の理由があり、兄さんとは違う高校への入学であった。この時は母さんが山梨から来てくれ、私は一安心だった。同時期に兄さんも高校の始業式があったようで、新しい高校生活が始まるようになってから共に家を空ける時間が多少は増えた。兄さんは性格上、言うまでもなく編入直後から高校に慣れ始めたらしい。私の高校、そして部活も、地方から出てきた私に対してとても温かくしてくれて、中には編入の珍しさから貴重がってくれる人もいた。私はそのような歓迎がとても嬉しかった。この時は、ぎこちなさを感じる家ではなく、高校や部活を心の拠り所にしようとさえ思っていた。
入学から2週間ほど経った頃、ようやく高校の部活でも右左が分かるようになってきた私に、慣れ始めた練習は心地よい楽しさを与えてくれていた。ただやはり中学とは桁違いに厳しい練習内容だったため、心地よい楽しさと共に疲労も私の見えない所で蓄積されていたと今では思う。剣道は肉体的にも精神的にも強くなれる分、それだけ疲労も伴うものであり、何と言ってもリアルに武具等の費用が嵩む武道である。父さんを亡くし、当時は経済的にもまだ苦しかった頃であったため、剣道を続ける事に関しては少々胸が痛む部分もあったというのがホンネである。
そんなある休日の朝、私は部活に行こうと多少焦っていた。少し予定よりも遅く起きてしまった私は、髪も結わえる必要があったし朝ごはんを食べる必要もあった。髪はしっかり結わえたものの、あいにく朝ごはんになる物は家になく、代わりにテーブルのど真ん中に目立ったメモと小銭が置かれていた。兄さんの字で「悪いがこれで朝飯を買って食ってくれ」と書かれたメモ。でもその時は時間もあまりなかったし、何せ経済面での負担を家計に掛けていたという自覚が強かった私は、そのメモと小銭をそのまま残して部活へと向かった。
その日の練習は何かが違っていた。いつもなら多少息が切れる程度のランニングがキツイ。柔軟体操をしても少々の倦怠感を感じる。身につけた武具がやたら重い。その違和感は時間が経つと共に意識的に感じられるようになってきた。そして実践練習が始まり立ち上がろうとした時、一気に全身の力が抜け、私はそのまま床に仰向けで倒れてしまった。すぐに仲間が駆け寄ってきてくれたが、それが誰なのかも分からないほどに意識は朦朧とし、そのまま私の記憶は薄れていったのだった。
眼が覚めたのは保健室の固いベッドの上。休日のため保健の先生はいなかった。窓から陽が射してきている事からまだ午前であると把握した。そして仰向けのまま深く息をついた。真っ先に気に掛かるのはやはり部活の事。一刻も早く先生に謝りに行きたかった。しかし辺りが静かだった事もあり、私は妙に落ち着いていた。
「ん…、気付いたか。」
という不意の言葉と共に、白く揺れる衝立の向こうから顧問の先生が顔を覗かせた。私は咄嗟に身体を起こそうとしたが、先生は首を横に振ってその動作を止めた。私は仰向けのまま近づく先生の顔を見つめた。
「…貧血、だ。」
先生は苦笑いでそう言った。私は無表情のままコクリと頷いた。何となく分かっていた、ただ言葉を発するのが怖かった。
「朝飯食ってきたか?」
そう訊かれると私は数秒の間を空けた後、小さく首を横に振った。
「それはイカンな、それはイカンぞ?」
先生は保健室の雰囲気とマッチした優しめの口調でそう言った。
「…申し訳、ありません。」
先生は怒っている様子ではなかったが、その申し訳なさから私は先生から眼を逸らしてそう呟いた。私が倒れたすぐ後の事、心配していた部活の事、それらを先生は私に聞かせてくれた。ただ、その時先生が不自然に時間を稼ごうとしていた素振りを見せていた事がかなり気掛かりだった。でも、その答えは数分後に出た。
ガラッと保健室のドアが開き、一礼して入ってきたのは紛れもなく他校の制服に身を包んだ兄さんだった。私はその瞬間眼を窓の外にやった。兄さんは何やら先生と話をしていたが、私はその内容に耳を傾ける事が出来ないほどに固まっていた。兄さんに怒られる、今までよりももっと気まずい生活が始まってしまう、私の頭はそんな思いで一杯だった。そんな思いを頭の中でグルグル回している間に、兄さんと先生との話は済んでいたようで、先生は窓の外を見る私に「無理するなよ。また明日待ってるからな。」と優しい言葉を掛けて保健室を後にした。
私はベッドの脇に立っていた兄さんの方をチラリと見た。兄さんは真顔で私の顔を見つめていた。その顔を見るやいなや、私は再び窓の外へ眼をやるのだった。
「大丈夫か?」
私に最初に向けられた兄さんの声は、予想に反して優しいものだった。
「…うん。」
私は再び兄さんの方をチラッと見た。「そいつは良かった」と呟いた兄さんはいつもの笑顔に戻っていた。
「心配かけるなよ~、テーブルの上に置いてあった小銭、やっぱ気付かなかったかぁ~。」
兄さんは保健室内を見渡しながらそう嘆いた。私は何も言えなかった。
「…さて。今日は帰れるくらいまで治ったらこのまま帰っていいらしいぞ?ど~だ??」
「…うん。大丈夫、たぶん。。。」
そう言って身体を起こす。兄さんは先生が置いてくれていた私の荷物を既に担ぎ上げていた。そして私が歩けるのを確認すると、ベッドなどを軽く整頓したのち、共に保健室を後にした。
その帰り道、当然私から兄さんに話しかける事はなかった。荷物を持ってくれている事は勿論、迎えに来てくれた事、心配を掛けてしまった事に対してもまだお礼を言えてなかった。いつの間にか兄さんと私共通の通学路である川の土手を歩いていた。時刻はまだ昼過ぎだった。
「…サコさ、俺のこと嫌い?」
突然兄さんは立ち止まって少し後ろを歩いていた私にそう投げ掛けた。
「ううん。嫌いじゃ、ないよ…?」
なぜかこの時ばかりは返答が詮索なしに口から出た。
「でもさ、何か避けてない?それとも何か怒ってる?」
兄さんの口調は決して厳しいものではなかった。むしろ、何というか、珍しく…。。。
「… … …。」
兄さんの違和感に気付きつつも、質問の返事は上手く言葉にできなかった。10秒ほど沈黙が続いた。
「わりぃ、答えにくそうだからいいや。それより、今朝テーブルの上の小銭に気付かなかったんだよな、ごめん。」
そう、兄さんは珍しく寂しげだった。いつも明るかった兄さんが見せた寂しげな顔、それは私に死んだ父さんを思い出させた。
「…違う。」
「え?」
私は思い切って、それまで肯定し続けてきた兄さんの発言を否定した。
「私、小銭に気付いてた。でも、ただでさえ剣道でお金かかってるのに…。だから少しでもお金浮かさないとって思って…。」
詮索なんてもう必要なかった。1回吹っ切れた私は涙を堪えながら思った事を口に出した。勿論兄さんへの恐れはあり、視線は地面に向いてはいたが。その時は恐れを身で感じる余裕すらなかったのかもしれない。
「…そっか。サコの言いたい事は分かった。」
少し間を置いてそう言った後、兄さんは大きく息を吐いて言葉を続けた。
「でもさ、俺、サコが心配なんだよ。サコに何かあったら困るし、嫌なんだよ、サコが困ってんの見るの。今日だって家に電話あったとき… … …ホントどうしようかと思った…。」
寂しげな兄さんからその言葉を受けた私は固まった。兄さんは、私が思っているのとはかけ離れたくらい私の事を心配してくれていたのだ。そう深く実感した。そして実感と同時にそれまで私が抱いていた兄さん像が音を立てて崩れ去った。兄さんは悪くない、私が兄さんを勘違いしてただけだったんだと…。ただ私はうまく言葉に出来ないでいた。
再び兄さんは私に背を向け、真昼の土手をゆっくりと歩き出した。その背を見て、私は心から兄さんに言葉をかけたかった。でも言葉が出てこない。兄さんは寂しそうな背を向けながらどんどん歩いていく…。その時、なぜか死んだ父さんの事がフッと頭に思い浮かんできたのだった。
「…兄さん!」
父さんに後押しされたような、不意に出た言葉。それに兄さんは振り返った。私の両手コブシは思い切り汗を握りつぶしていた。
「ごめん兄さん!私が間違ってた…。だから兄さんは…。。。」
言葉が続かない。やっぱり言葉は未完成だった。でも、一番言いたかった事は言えた。ごめん兄さん、って…。それを聞いた兄さんは寂しそうな顔から無理矢理と言っていいような笑みを浮かべて、
「…うん、サンキュ、サコ。」
と、兄さんは私にギリギリ聞こえるくらいの声で呟き、私が並ぶまでそこで待っていてくれた。私はその時の兄さんの顔を決して忘れはしない。
この日、私は大きく変わった。2人暮らしを始めてから初めて、私は面と向かって兄さんと言葉のやり取りをした。しかもそれは表面的なやり取りではなく、ホンネをぶつけ合った会話だった。それは兄さんの内面を見る事が出来た会話でもあり、私の勘違いを気付かせてくれた大切な大切な会話だった。そしてこの日を境に、私の中の兄さん像が新たに構築されていくのであった。
<05年5月:本当の兄妹へ。>
4月のその日以来、兄さんと私との壁は崩壊しつつあった。それまでの生活のぎこちなさは減り、自炊の機会と共に会話自体もかなり増えた。でも、やはり兄さんと暮らすには恥ずかしさと申し訳なさがまだ残っていて、ホンネが言えない時が幾度となくあった。そんなこんなで4月下旬から始まるゴールデンウィークを迎えようとしていた。顧問の先生がプライベートで旅行に行くというので、G.W.に部活はなかった。ただ我が家も私の心の拠り所になりつつあったため、家に居続ける事に全く苦痛はなかった。一方兄さんは高校3年だったため、この休みを利用してより一層勉強に励むのだと私は思っていた。しかしG.W.突入の前夜、兄さんは、
「サコ、明日どっか行かないか?ほら、こっち来てから全然出掛けてないじゃん。」
と、‘オデカケ’の提案をしたのだった。
「でも、兄さんは勉強しなきゃいけないし…、悪いよ。」
私は本心通りに返答した。ただ、兄さんと出掛ける事自体に抵抗はなかった。
「俺にも気晴らしが必要なの!はい、決定~。明日は東京に行きます!」
私の反論も虚しく、兄さんは笑顔でそう決定を下した。ただ気晴らしという言葉を聞くと、出掛ける事も悪くないなと思えた。そして内心、初めて兄さんと遠くへ出掛ける事にもドキドキしていた。
翌日、兄さんは朝からハイテンションだった。気晴らし、だからかな、私はそう思っていた。
「兄さん、東京って…具体的にはドコへ行くの?」
最寄の駅に向かって歩いていく時、珍しく私の方から兄さんに質問を切り出した。
「… … …決めてねぇw」
数秒間、空気が止まった。
「…なんで?;」
「サコの行きたいトコに行くから。流石に兄さんの俺でもサコの行きたいトコは見抜けねぇよ。」
兄さんは笑っていた。でも、今日は兄さんの気晴らし目的の外出。私は困った。駅のホームで電車を待つ時も、とりあえず都内へ向かう方の電車に乗った時も、どこへ行くのか考えていた。そして思いついた。
「…兄さんの行きたいトコに行きたい。」
「ぅわ、やられたな~。」
兄さんは苦笑いを浮かべた。でも、何だか嬉しそうだった。兄さんの嬉しそうな顔を見て、私も嬉しかった。先日土手で言われた言葉、「嫌なんだよ、困ってんの見るの。」 この台詞を聞いて私も思った、「私も嫌だよ、兄さんが困るの。」 それ以来、嬉しそうな兄さんを見ると、私自身も嬉しく感じていた。
「じゃ、とりあえず埼玉県民の溜まり場であるらしい池袋に行くか。」
その言葉に賛同し、私と兄さんは生まれて初めて池袋へ行った。
行ってみて、まずは人の多さにビックリした。ビルの高さにもビックリした。どこまでも広がるお店の数にもビックリした。兄さんもビックリしていたようだった。私達は明らかにキョロキョロし過ぎてて、田舎色(?)をふんだんに出していた。
「うん、これだけあればサコの気に入る服も見つかるだろう。」
「え…?」
キョロキョロしながら兄さんが呟いた。兄さんはもとから私の服を買う事を目的としていたらしい。確かに私はファッションセンスが良かったわけでもなければ、流行に乗るタイプでもなかった。そのため私服の数が高校生の平均を下回っていたのは明らかだった。
「…いいの?兄さん。…今日は兄さんの気晴らしだよ?」
「俺の気晴らしは、サコの気晴らしだから。サコが満足できれば俺も満足!」
兄さんは私の確認にキッパリと即答した。初めは意味がよく分からなかったが、兄さんが私の事を考えてくれていると分かると、とても嬉しかった。
兄さんは私の似合う服を一生懸命に探してくれた。私が気に入りそうなお店を一軒一軒回ってくれたし、私が店員さんに色々訊くのを躊躇っていると兄さんが代わりに訊いてくれたりもした。その行動は、明らかに兄さんの為ではなく私の為の行動だった。一緒に服を選び、買ってくれた事は嬉しかったけど、兄さんが本当に満足していたのかはとても疑問だった。
結局、兄さんは服だけでなく、靴やカバンも買ってくれた。お金の事も気になったが、それ以上にいっぱいの袋で塞がっている両手が心配だった。それでも、兄さんは心配する私を尻目に、笑顔で楽しそうだった。私はこれまで兄さんが通してきた明るさや笑顔は兄さん自身のためのものだと思っていた。でもそれは違った。兄さんは私のために、私と接するために明るく話しかけてくれていたり、笑顔を浮かべていたりしたのだ。その事が分かった瞬間、私にはこれまで抱いた事のなかった新たな感情が生まれてきたのだった。
兄さんが、私の兄さんで本当に良かった。
今、私は大学生だ。あの頃と比べても成長できた部分が多いと感じている。それでも、兄さんを想う気持ちは変わらない。5年後も10年後も20年後も、その気持ちは変わらない。だって、兄さんはいつまで経っても、私より2つ年上の兄さんなのだから。
頼りっ放しで情けない妹かもしれないけど、これからもずっと、宜しくね、兄さん。
(参照・参考:『サコから兄さんへ。』 一部 改)
最後まで読んでくださった方々、ありがとうございました☆★☆
ワタクシないとの大切な朋輩、アーチ(大学新4年)。
彼には2つ下の妹、サコちゃんがいます。
この話を紹介してもらって、兄妹って大変な部分もあるのだけれど、それでもやっぱりイイものだな、そう実感できました。
この話の主人公は“私”である“サコちゃん”。
<05年1月:父さんの死と母さんの決断。>
私が中学3年、兄さんが高校2年だった冬、大好きだった父さんが病気で死んでしまった。大黒柱を失った我が家、その中で母さんが年明けに出した結論、それが3月からの兄さんとの2人暮らしだった。言うまでもなく、その決定には兄さんも私も驚いた。兄さんはどう思っていたのか分からないけれど、正直私は兄さんと2人で暮らすだなんて、当時はしたくなかった。でも哀しみに暮れる中、母さんが受験を迎える私達のために良い環境を調えてくれたと思うと、首を縦に振るしか私にはできなかった。それまでの兄さんは私と対照的な性格だった事もあって、そう言うほど接点がなかった。いわば兄さんは光で私は影。兄さんは明るくて輪の中心に向かって行くタイプだったのに対し、私は感情表現や人と接する事が苦手なタイプだった。そんな兄さんと私は、同じ屋根の下に暮らす兄妹としては、関わりがとてもぎこちなかったと今では思う。暗めの私は、対照的に明るい兄さんに多少の恐れを感じていて、丁寧語は使わないにしろ、兄さんの言う事やる事に否定的な口出しをした事がなかった。仲が悪かった訳ではなかったけれど、ハッキリ言って私は兄さんを、父さんや母さんみたいに身近に感じられなかった。同じ小中に通うにも、登校の際は私が兄さんの後についていき、兄さんが私に話題を振れば、私はそれに対していつでも肯定的な態度に出た。でもそれは今思うと、対照的に明るい兄さんを恐れての私の一方的な逃避だったのかもしれない…。とにかく、この頃は3月から始まる2人きりの生活に対してプラス思考になれない私がいた事に違いはない。
<05年3月:引越し。>
それから約2ヵ月後、私と兄さんは実家の山梨を離れて埼玉にやってきた。叔父さんが借りてくれたマンション。立派な居間・キッチン・お風呂もあり、2人で住むには十分すぎるほどの広さだった。そこでいよいよ私と兄さんの生活が始まろうとしていた。引越しの日は当然、母さんや叔父さんも手伝いに来てくれ、生活品の確認・場所の把握などは順調にこなせた。でも、その時兄さんは叔父さんと大きめの家財道具を搬入するなどしていたため、私は兄さんと話す事なく、あっという間に1日が過ぎてしまった。そして翌日の午後、母さんと叔父さんは「仲良くね」という言葉を笑顔で残して山梨へ帰ってしまった。
引越し後初めての会話はやはり兄さんから切り出した。
「いよいよ~、新しい生活が始まるけど…。」
玄関の前で立っていた私に、兄さんは手招きをしつつそう言った。急に話しかけられて驚いたが、私は黙って兄さんの居る居間の方へ向かった。
「…う、うん。。。」
やはり兄さんの発言を肯定するに留まってしまった。実家に居た時から兄さんとの会話は、兄さんが発言し、それを躊躇しながら私がいつでも肯定するという形が固まっていた。
「こっち。こっちの部屋、俺の受験勉強部屋にしてもいい?」
私が居間へ足を運んだ時、兄さんは隣室への扉を軽く開けて笑顔でそう訊いた。
「…うん、いいよ。」
詮索する間もなく真顔で肯定する私。まだまだ兄さんに対する‘恐れ’があったのだろう。2人の生活が始まったこの瞬間ばかりは、何を言われても断る気なんて起きなかった。私が恐れを感じていた兄さんはその時もやはり笑顔だった。
そのようなギクシャクした生活は4月の頭まで続いた。挨拶などの必要最低限の会話は交わすものの、大抵兄さんが発言し始めて、私の方が話の流れを止めていた。だって、明るく話しかける兄さんに上手く話で対応する事が私にはまだ出来なかったから…。兄さんが楽しそうに話しているのに私が下手な表情で聞くのも申し訳なかったから…。そう思い続けたにも拘らず、兄さんはいつでも私に明るく話しかけ続けてくれた。
<05年4月:転機。>
ギクシャクした生活が1週間ばかり続いた後、私は高校の入学式を迎えた。中学から続けていた剣道がやりたいという理由、そして何よりも学力差の理由があり、兄さんとは違う高校への入学であった。この時は母さんが山梨から来てくれ、私は一安心だった。同時期に兄さんも高校の始業式があったようで、新しい高校生活が始まるようになってから共に家を空ける時間が多少は増えた。兄さんは性格上、言うまでもなく編入直後から高校に慣れ始めたらしい。私の高校、そして部活も、地方から出てきた私に対してとても温かくしてくれて、中には編入の珍しさから貴重がってくれる人もいた。私はそのような歓迎がとても嬉しかった。この時は、ぎこちなさを感じる家ではなく、高校や部活を心の拠り所にしようとさえ思っていた。
入学から2週間ほど経った頃、ようやく高校の部活でも右左が分かるようになってきた私に、慣れ始めた練習は心地よい楽しさを与えてくれていた。ただやはり中学とは桁違いに厳しい練習内容だったため、心地よい楽しさと共に疲労も私の見えない所で蓄積されていたと今では思う。剣道は肉体的にも精神的にも強くなれる分、それだけ疲労も伴うものであり、何と言ってもリアルに武具等の費用が嵩む武道である。父さんを亡くし、当時は経済的にもまだ苦しかった頃であったため、剣道を続ける事に関しては少々胸が痛む部分もあったというのがホンネである。
そんなある休日の朝、私は部活に行こうと多少焦っていた。少し予定よりも遅く起きてしまった私は、髪も結わえる必要があったし朝ごはんを食べる必要もあった。髪はしっかり結わえたものの、あいにく朝ごはんになる物は家になく、代わりにテーブルのど真ん中に目立ったメモと小銭が置かれていた。兄さんの字で「悪いがこれで朝飯を買って食ってくれ」と書かれたメモ。でもその時は時間もあまりなかったし、何せ経済面での負担を家計に掛けていたという自覚が強かった私は、そのメモと小銭をそのまま残して部活へと向かった。
その日の練習は何かが違っていた。いつもなら多少息が切れる程度のランニングがキツイ。柔軟体操をしても少々の倦怠感を感じる。身につけた武具がやたら重い。その違和感は時間が経つと共に意識的に感じられるようになってきた。そして実践練習が始まり立ち上がろうとした時、一気に全身の力が抜け、私はそのまま床に仰向けで倒れてしまった。すぐに仲間が駆け寄ってきてくれたが、それが誰なのかも分からないほどに意識は朦朧とし、そのまま私の記憶は薄れていったのだった。
眼が覚めたのは保健室の固いベッドの上。休日のため保健の先生はいなかった。窓から陽が射してきている事からまだ午前であると把握した。そして仰向けのまま深く息をついた。真っ先に気に掛かるのはやはり部活の事。一刻も早く先生に謝りに行きたかった。しかし辺りが静かだった事もあり、私は妙に落ち着いていた。
「ん…、気付いたか。」
という不意の言葉と共に、白く揺れる衝立の向こうから顧問の先生が顔を覗かせた。私は咄嗟に身体を起こそうとしたが、先生は首を横に振ってその動作を止めた。私は仰向けのまま近づく先生の顔を見つめた。
「…貧血、だ。」
先生は苦笑いでそう言った。私は無表情のままコクリと頷いた。何となく分かっていた、ただ言葉を発するのが怖かった。
「朝飯食ってきたか?」
そう訊かれると私は数秒の間を空けた後、小さく首を横に振った。
「それはイカンな、それはイカンぞ?」
先生は保健室の雰囲気とマッチした優しめの口調でそう言った。
「…申し訳、ありません。」
先生は怒っている様子ではなかったが、その申し訳なさから私は先生から眼を逸らしてそう呟いた。私が倒れたすぐ後の事、心配していた部活の事、それらを先生は私に聞かせてくれた。ただ、その時先生が不自然に時間を稼ごうとしていた素振りを見せていた事がかなり気掛かりだった。でも、その答えは数分後に出た。
ガラッと保健室のドアが開き、一礼して入ってきたのは紛れもなく他校の制服に身を包んだ兄さんだった。私はその瞬間眼を窓の外にやった。兄さんは何やら先生と話をしていたが、私はその内容に耳を傾ける事が出来ないほどに固まっていた。兄さんに怒られる、今までよりももっと気まずい生活が始まってしまう、私の頭はそんな思いで一杯だった。そんな思いを頭の中でグルグル回している間に、兄さんと先生との話は済んでいたようで、先生は窓の外を見る私に「無理するなよ。また明日待ってるからな。」と優しい言葉を掛けて保健室を後にした。
私はベッドの脇に立っていた兄さんの方をチラリと見た。兄さんは真顔で私の顔を見つめていた。その顔を見るやいなや、私は再び窓の外へ眼をやるのだった。
「大丈夫か?」
私に最初に向けられた兄さんの声は、予想に反して優しいものだった。
「…うん。」
私は再び兄さんの方をチラッと見た。「そいつは良かった」と呟いた兄さんはいつもの笑顔に戻っていた。
「心配かけるなよ~、テーブルの上に置いてあった小銭、やっぱ気付かなかったかぁ~。」
兄さんは保健室内を見渡しながらそう嘆いた。私は何も言えなかった。
「…さて。今日は帰れるくらいまで治ったらこのまま帰っていいらしいぞ?ど~だ??」
「…うん。大丈夫、たぶん。。。」
そう言って身体を起こす。兄さんは先生が置いてくれていた私の荷物を既に担ぎ上げていた。そして私が歩けるのを確認すると、ベッドなどを軽く整頓したのち、共に保健室を後にした。
その帰り道、当然私から兄さんに話しかける事はなかった。荷物を持ってくれている事は勿論、迎えに来てくれた事、心配を掛けてしまった事に対してもまだお礼を言えてなかった。いつの間にか兄さんと私共通の通学路である川の土手を歩いていた。時刻はまだ昼過ぎだった。
「…サコさ、俺のこと嫌い?」
突然兄さんは立ち止まって少し後ろを歩いていた私にそう投げ掛けた。
「ううん。嫌いじゃ、ないよ…?」
なぜかこの時ばかりは返答が詮索なしに口から出た。
「でもさ、何か避けてない?それとも何か怒ってる?」
兄さんの口調は決して厳しいものではなかった。むしろ、何というか、珍しく…。。。
「… … …。」
兄さんの違和感に気付きつつも、質問の返事は上手く言葉にできなかった。10秒ほど沈黙が続いた。
「わりぃ、答えにくそうだからいいや。それより、今朝テーブルの上の小銭に気付かなかったんだよな、ごめん。」
そう、兄さんは珍しく寂しげだった。いつも明るかった兄さんが見せた寂しげな顔、それは私に死んだ父さんを思い出させた。
「…違う。」
「え?」
私は思い切って、それまで肯定し続けてきた兄さんの発言を否定した。
「私、小銭に気付いてた。でも、ただでさえ剣道でお金かかってるのに…。だから少しでもお金浮かさないとって思って…。」
詮索なんてもう必要なかった。1回吹っ切れた私は涙を堪えながら思った事を口に出した。勿論兄さんへの恐れはあり、視線は地面に向いてはいたが。その時は恐れを身で感じる余裕すらなかったのかもしれない。
「…そっか。サコの言いたい事は分かった。」
少し間を置いてそう言った後、兄さんは大きく息を吐いて言葉を続けた。
「でもさ、俺、サコが心配なんだよ。サコに何かあったら困るし、嫌なんだよ、サコが困ってんの見るの。今日だって家に電話あったとき… … …ホントどうしようかと思った…。」
寂しげな兄さんからその言葉を受けた私は固まった。兄さんは、私が思っているのとはかけ離れたくらい私の事を心配してくれていたのだ。そう深く実感した。そして実感と同時にそれまで私が抱いていた兄さん像が音を立てて崩れ去った。兄さんは悪くない、私が兄さんを勘違いしてただけだったんだと…。ただ私はうまく言葉に出来ないでいた。
再び兄さんは私に背を向け、真昼の土手をゆっくりと歩き出した。その背を見て、私は心から兄さんに言葉をかけたかった。でも言葉が出てこない。兄さんは寂しそうな背を向けながらどんどん歩いていく…。その時、なぜか死んだ父さんの事がフッと頭に思い浮かんできたのだった。
「…兄さん!」
父さんに後押しされたような、不意に出た言葉。それに兄さんは振り返った。私の両手コブシは思い切り汗を握りつぶしていた。
「ごめん兄さん!私が間違ってた…。だから兄さんは…。。。」
言葉が続かない。やっぱり言葉は未完成だった。でも、一番言いたかった事は言えた。ごめん兄さん、って…。それを聞いた兄さんは寂しそうな顔から無理矢理と言っていいような笑みを浮かべて、
「…うん、サンキュ、サコ。」
と、兄さんは私にギリギリ聞こえるくらいの声で呟き、私が並ぶまでそこで待っていてくれた。私はその時の兄さんの顔を決して忘れはしない。
この日、私は大きく変わった。2人暮らしを始めてから初めて、私は面と向かって兄さんと言葉のやり取りをした。しかもそれは表面的なやり取りではなく、ホンネをぶつけ合った会話だった。それは兄さんの内面を見る事が出来た会話でもあり、私の勘違いを気付かせてくれた大切な大切な会話だった。そしてこの日を境に、私の中の兄さん像が新たに構築されていくのであった。
<05年5月:本当の兄妹へ。>
4月のその日以来、兄さんと私との壁は崩壊しつつあった。それまでの生活のぎこちなさは減り、自炊の機会と共に会話自体もかなり増えた。でも、やはり兄さんと暮らすには恥ずかしさと申し訳なさがまだ残っていて、ホンネが言えない時が幾度となくあった。そんなこんなで4月下旬から始まるゴールデンウィークを迎えようとしていた。顧問の先生がプライベートで旅行に行くというので、G.W.に部活はなかった。ただ我が家も私の心の拠り所になりつつあったため、家に居続ける事に全く苦痛はなかった。一方兄さんは高校3年だったため、この休みを利用してより一層勉強に励むのだと私は思っていた。しかしG.W.突入の前夜、兄さんは、
「サコ、明日どっか行かないか?ほら、こっち来てから全然出掛けてないじゃん。」
と、‘オデカケ’の提案をしたのだった。
「でも、兄さんは勉強しなきゃいけないし…、悪いよ。」
私は本心通りに返答した。ただ、兄さんと出掛ける事自体に抵抗はなかった。
「俺にも気晴らしが必要なの!はい、決定~。明日は東京に行きます!」
私の反論も虚しく、兄さんは笑顔でそう決定を下した。ただ気晴らしという言葉を聞くと、出掛ける事も悪くないなと思えた。そして内心、初めて兄さんと遠くへ出掛ける事にもドキドキしていた。
翌日、兄さんは朝からハイテンションだった。気晴らし、だからかな、私はそう思っていた。
「兄さん、東京って…具体的にはドコへ行くの?」
最寄の駅に向かって歩いていく時、珍しく私の方から兄さんに質問を切り出した。
「… … …決めてねぇw」
数秒間、空気が止まった。
「…なんで?;」
「サコの行きたいトコに行くから。流石に兄さんの俺でもサコの行きたいトコは見抜けねぇよ。」
兄さんは笑っていた。でも、今日は兄さんの気晴らし目的の外出。私は困った。駅のホームで電車を待つ時も、とりあえず都内へ向かう方の電車に乗った時も、どこへ行くのか考えていた。そして思いついた。
「…兄さんの行きたいトコに行きたい。」
「ぅわ、やられたな~。」
兄さんは苦笑いを浮かべた。でも、何だか嬉しそうだった。兄さんの嬉しそうな顔を見て、私も嬉しかった。先日土手で言われた言葉、「嫌なんだよ、困ってんの見るの。」 この台詞を聞いて私も思った、「私も嫌だよ、兄さんが困るの。」 それ以来、嬉しそうな兄さんを見ると、私自身も嬉しく感じていた。
「じゃ、とりあえず埼玉県民の溜まり場であるらしい池袋に行くか。」
その言葉に賛同し、私と兄さんは生まれて初めて池袋へ行った。
行ってみて、まずは人の多さにビックリした。ビルの高さにもビックリした。どこまでも広がるお店の数にもビックリした。兄さんもビックリしていたようだった。私達は明らかにキョロキョロし過ぎてて、田舎色(?)をふんだんに出していた。
「うん、これだけあればサコの気に入る服も見つかるだろう。」
「え…?」
キョロキョロしながら兄さんが呟いた。兄さんはもとから私の服を買う事を目的としていたらしい。確かに私はファッションセンスが良かったわけでもなければ、流行に乗るタイプでもなかった。そのため私服の数が高校生の平均を下回っていたのは明らかだった。
「…いいの?兄さん。…今日は兄さんの気晴らしだよ?」
「俺の気晴らしは、サコの気晴らしだから。サコが満足できれば俺も満足!」
兄さんは私の確認にキッパリと即答した。初めは意味がよく分からなかったが、兄さんが私の事を考えてくれていると分かると、とても嬉しかった。
兄さんは私の似合う服を一生懸命に探してくれた。私が気に入りそうなお店を一軒一軒回ってくれたし、私が店員さんに色々訊くのを躊躇っていると兄さんが代わりに訊いてくれたりもした。その行動は、明らかに兄さんの為ではなく私の為の行動だった。一緒に服を選び、買ってくれた事は嬉しかったけど、兄さんが本当に満足していたのかはとても疑問だった。
結局、兄さんは服だけでなく、靴やカバンも買ってくれた。お金の事も気になったが、それ以上にいっぱいの袋で塞がっている両手が心配だった。それでも、兄さんは心配する私を尻目に、笑顔で楽しそうだった。私はこれまで兄さんが通してきた明るさや笑顔は兄さん自身のためのものだと思っていた。でもそれは違った。兄さんは私のために、私と接するために明るく話しかけてくれていたり、笑顔を浮かべていたりしたのだ。その事が分かった瞬間、私にはこれまで抱いた事のなかった新たな感情が生まれてきたのだった。
兄さんが、私の兄さんで本当に良かった。
今、私は大学生だ。あの頃と比べても成長できた部分が多いと感じている。それでも、兄さんを想う気持ちは変わらない。5年後も10年後も20年後も、その気持ちは変わらない。だって、兄さんはいつまで経っても、私より2つ年上の兄さんなのだから。
頼りっ放しで情けない妹かもしれないけど、これからもずっと、宜しくね、兄さん。
(参照・参考:『サコから兄さんへ。』 一部 改)
最後まで読んでくださった方々、ありがとうございました☆★☆
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